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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1281 NG384-04 数時間後、雑魚場町へ建物疎開作業に行っていた母がやけどを負い帰ってきた。 古林 和夫(コバヤシ カズオ) 1945/8/6 翠町弥生通り
1282 NG481 倒壊した自宅から抜け出し火災の中を避難する親子。 武永 三太郎(タケナガ サンタロウ) 1945/8/6 胡町の自宅近く
1283 NG234-03 跡形もなくなった家で「皆無事五日市に居る」と書いた板を見つける。見た瞬間涙が出た。 吉村 義孝(ヨシムラ ヨシタカ) 1945/8/9 自宅前
1284 NG024-24 舟入のお寺で救護に当たる。背中の皮がむけてウジがいっぱいはっていのを治療する時は悲しくて涙が流れた。 河野 一郎(コウノ  イチロウ) 1945/8/6 舟入
1285 NG431-02 路面電車のレール軌道内に横になっていた人たち。老若、男女、生き死にもわからなかった。 朝信 澄子(アサノブ スミコ) 1945/8/10 舟入の電車通り
1286 NG217 朝礼中、ものすごいせん光と地響きがあり、校舎の屋根がくずれ瓦や石が雨のように降ってきた。 真鍋 美代喜(マナベ ミヨキ) 1945/8/6 舟入国民学校校庭
1287 NG167-02 トマト畑のトマトが全部落ちていた。母に「絶対食べないで」と言われ、手に持ってるトマトを捨てた。 中田 輝子(ナカタ テルコ) 1945/8/6 舟入川口町の畑
1288 NG208-01 建物の下敷きになったが、屋根の上にのがれ、北北東の上空に紅蓮の炎の火球を見た。 高橋 正明(タカハシ マサアキ) 1945/8/6 舟入川口町の自宅
1289 NG087 町内会で焼け跡から死体を収容し荷車や戸板に乗せて火葬するために江波の陸軍射的場に運ぶ。 宗田 勝(ムネタ マサル) 1945/8/8 舟入本町~舟入川口町南
1290 NG454-01 大けがを負った娘を背負った近所の人。内臓が出た姿に何も言えず、とても悲しかった。 加治野 康子(カジノ ヤスコ) 1945/8/6 舟入町
1291 NG141 7カ月の身重だった私は1歳2カ月の長女と二人家屋の下敷きになる。長女は8月29日に死亡する。 梶野 清子(カジノ キヨコ) 1945/8/6 舟入町 天満川川岸
1292 NG400-02 缶詰工場跡で缶詰がポーンと爆発して飛び上がり頭上に落ちるのをトタンで避けながら缶詰を拾う人々。 匿名 1945/8/7 舟入町付近
1293 NG454-02 死者を火葬する兵隊、瓦の上に性別・年齢を書き遺骨を乗せる。 匿名 1945/8/7 舟入町観音橋のたもと
1294 NG183-11 田舎からお母さんが看病に来てくれた。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 舟入病院
1295 NG183-12 広島上空をB29が通過。警戒警報が解除になり、昭ちゃんはそのまま眠った。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 舟入病院
1296 NG183-13 せん光と爆音があり、ベッドとベッドの間に吹き飛ばされる。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 舟入病院
1297 NG183-14 隣のベッドのおじさんに助けを求められるが、大きな棟木が上にあってどうしようもなかった。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 舟入病院
1298 NG183-15 おかあさんの呼ぶ声に必死に明るい方へと行きくずれた屋根の上に出た。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 舟入病院
1299 NG183-16 土煙の中でやっとおかあさんと再会する。その時黒い雨が降ってきた。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 舟入病院
1300 NG183-17 看護婦さんがカーテンを引き裂いて応急処置をしてくれた。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 1945/8/6 舟入病院

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