トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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101 | NG124-03 | がれきの街の中で同級生と出会う。名前を聞かなければ本人とわからないくらいの重傷を負っていた。 | 竹中 宝(タケナカ タカラ) | |||
102 | NG134-09 | 父は行方不明の伯父を捜して伯母を自転車に乗せ市内周辺の被災収容所をまわったが見つけられなかった。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/7~8/10 | ||
103 | NG134-12 | 己斐国民学校6年生。熱線で右半身をやけどする。傷口はベチャベチャになりハエやウジがたかった。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | |||
104 | NG136 | 大八車で運ばれる負傷者。皮膚ははがれハエがたかっていた。「痛いよー、水、水」という声が今も耳に残る。 | 高丸 恭仁子(タカマル キョウコ) | |||
105 | NG138-01 | 負傷者を収容した仮救護所ののテント。毎日のように二人三人と息絶えて運び出されていた。 | 椋 忠六(ムク チュウロク) | 1945/8/13 | ||
106 | NG138-02 | 山に見えるだびの煙り。一面の瓦礫に死臭がただよい地獄の一面を見たようだった。 | 椋 忠六(ムク チュウロク) | |||
107 | NG142 | 当時4歳の唯一の記憶。家が燃えているか何が燃えているのかわからないがものすごい炎だった。 | 永尾 隆秀(ナガオ タカヒデ) | 1945/8/8 | ||
108 | NG149-01 | きのこ雲と燃える市街 | 杉浦 善蔵(スギウラ ゼンゾウ) | 1945/8/6 | ||
109 | NG149-02 | 焼け野原の中の火葬の煙り、さまよい歩く負傷者、防火用水槽の先生と子どもの死体。 | 杉浦 善蔵(スギウラ ゼンゾウ) | |||
110 | NG150 | 広島に派遣されていた兵隊たちが病気になり帰隊してきた。病気の原因も治療法もわからなかった。 | 天野 勝幸(アマノ カツユキ) | |||
111 | NG157-02 | 目玉が飛び出し新タマネギのような色の内臓が胸の上に乗った黒焦げの死体 | 山中 昭子(ヤマナカ アキコ) | |||
112 | NG164-01 | こわれた建物の横に座り込んだままの人。生きているようにみえた。引き返して捜したがもう見えなかった。 | 久井 一章(クイ カズアキ) | |||
113 | NG164-02 | 重い木材の下敷きになり、必死に蹴り上げて起き上がろうとする馬。その足元には人の顔や腕が見えた。 | 久井 一章(クイ カズアキ) | |||
114 | NG164-03 | 炎天下の中をはだしで歩いて避難する人々。服はみなボロボロで、顔も手も黒くただれて見るも無惨だった。 | 久井 一章(クイ カズアキ) | |||
115 | NG164-04 | 土ほこりと煙りでまったく昼夜もわからない死の街に、「苦しい。助けて。誰か来て。」と叫び声がする。 | 久井 一章(クイ カズアキ) | |||
116 | NG164-06 | 道なき道、倒壊した家の間を負傷者を背負い1時間くらいかかって歩く。 | 久井 一章(クイ カズアキ) | |||
117 | NG172-04 | 火災のため真っ赤になった電柱。父を捜したが見つからず、8月の太陽に照りつけられ灼熱にボーッとなった。 | 楢原 裕子(ナラハラ ヒロコ) | 1945/8/9 | ||
118 | NG179 | 車中から見た広島の山々。原爆の火災により焼き尽くされ赤土の中の松の木の残骸が残っていた。 | 大久保 戒道(オオクボ カイドウ) | 1945/8/20頃 | ||
119 | NG182 | 比治山の方へ避難するときの様子。亡くなった人、うめいている人、通るのも大変だった。 | 永浦 千鶴(ナガウラ チズル) | 1945/8/6 | ||
120 | NG183-01 | 「昭ちゃんの原子爆弾被爆体験記」表紙 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) |