トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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61 | NG050-01 | オレンジ色の物体が空に現れ、しばらくして次にきのこ雲が上がった。 | 渡 芳子(ワタリ ヨシコ) | 1945/8/6 | ||
62 | NG050-03 | 8月7日以降毎晩火葬が続く。火葬の煙りに手をあわせる人々 | 渡 芳子(ワタリ ヨシコ) | 1945/8/7 | ||
63 | NG051-07 | ドラム缶で風呂を作りドクダミをねって薬草風呂にし、薬の代わりにドクダミとタンポポの根を煎じて飲んだ。 | 住本 一美(スミモト カズミ) | |||
64 | NG051-09 | 軍用品を一般の人に配る。長靴、手袋、釘、針、糸、米、砂糖、塩、メリケン粉、マッチ、ローソクなど。 | 住本 一美(スミモト カズミ) | |||
65 | NG052-02 | その夜の広島は火災で人の霊も炎となった。ほの黄色く見えたのはきっと人の霊だと思う。 | 佐々木 智佐子(ササキ チサコ) | 1945/8/6 | ||
66 | NG053 | 学徒動員で広島駅へ行っていた近所の中学生。火傷で、顔、腕、足から血膿が流れ出ていた。 | 平川 カツ子(ヒラカワ カツコ) | 1945/8/6 | ||
67 | NG054-01-01 | 学徒動員で建物疎開作業中に被爆した弟。火傷で左肩から顔まで真っ黒で、誰かわからなかった。 | 江角 隆雄(エスミ タカオ) | 1945/8/6 | ||
68 | NG054-01-02 | 当時薬やガーゼがなく、ジャガイモのすったのや、キュウリを浸した水を布につけてやけどの患部に塗った。 | 江角 隆雄(エスミ タカオ) | |||
69 | NG060-01 | トタン板に死体を並べ油をかけて火葬する。 | 要源 喜美枝(ヨウゲン キミエ) | |||
70 | NG060-02 | 倒れている人。手を前に出して歩く人。 | 要源 喜美枝(ヨウゲン キミエ) | |||
71 | NG062-03 | 真っ黒い川には、黒焦げで大きく膨れた死体が浮いて流され、魚が口から泡を出して苦しそうにしていた。 | 大場 孝子(オオバ タカコ) | 1945/8/6 | ||
72 | NG062-04 | 気の狂った母親が子どもいないのにあやしていた。山陽本線の枕木は熱線により自然着火し燃えた。 | 大場 孝子(オオバ タカコ) | 1945/8/6 | ||
73 | NG062-06 | 手押ポンプや防火用水槽近くに倒れた真っ黒焦げの死体。犬や馬も用水に首を突っ込んだまま死んでいた。 | 大場 孝子(オオバ タカコ) | |||
74 | NG062-07 | 焼け跡を整理していてがれきの下に小さなナスの花を見つける。希望を与えてくれたが一夜で枯れてしまった。 | 大場 孝子(オオバ タカコ) | |||
75 | NG062-09 | 死体は1カ所に集められ山積みにして火葬された。道端にはていねいに瓦を並べその上に遺骨がおかれていた。 | 大場 孝子(オオバ タカコ) | |||
76 | NG062-10 | 歯茎からの出血、脱毛、下痢に苦しめられ、体中に斑点ができて多くの友人が亡くなった。 | 大場 孝子(オオバ タカコ) | |||
77 | NG069-04 | 電柱がまだくすぶり続け煙りが出ていた。がれきの山、盛り上がった所などが熱っぽく感じた。 | 田島 武雄(タジマ タケオ) | 1945/8/10 | ||
78 | NG069-07 | 川の中にたくさんの白骨が沈んでいた。爆心地の近くでは、水を求めて川に身を投じたのだと思う。 | 田島 武雄(タジマ タケオ) | |||
79 | NG069-10 | 目が見えなくなり方角もわからず水を求めて川に入り力つきたのだろうか。川の中は何十人もの人だった。 | 田島 武雄(タジマ タケオ) | 1945/8/6 | ||
80 | NG069-11 | 建物の下敷きになった人を助け出す兵士たち。救援隊の中にも放射線の影響で倒れたり亡くなる人が出た。 | 田島 武雄(タジマ タケオ) | 1945/8/9 |