トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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261 | NG066 | 負傷者はみな帽子をかぶっていた部分だけ残して髪の毛は焼けていた。焼けただれた肌にはウジがわいた。 | 古本 徳夫(フルモト トクオ) | 三入国民学校 | ||
262 | NG082 | 三入国民学校に収容された負傷者たち。村人が交代で看護したが次々と死者が出て根谷川の川原で火葬した。 | 新谷 幸枝(シンタニ ユキエ) | 1945/8/6 | 三入国民学校 | |
263 | NG314-30 | 元気で再会できたことを喜び合った親友が急死した。脱毛、吐血し苦しみもだえて息を引き取った。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 1945/9/2 | 三原市 | |
264 | NG185 | きのこ雲。屋根のない広島駅。負傷者をトラックで運ぶ。病院の廊下に寝てうめく負傷者。 | 前川 千枝子(マエカワ チエコ) | 1945/8/6~ | 三原市、広島駅、呉市の病院 | |
265 | NG019-20 | 三和銀行付近 | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 三和銀行付近 | ||
266 | NG236-01 | 救護所で救援活動を行う。絶え間のない空襲警報で防空ごうに向かうこともしばしばだった。 | 知久 喜代野(チク キヨノ) | 三星製菓、大正橋付近 | ||
267 | NG097-01 | 芸備線で避難してきた被災者たちを三次国民学校講堂へ収容し看護に当たる。 | 村中 淑子(ムラナカ トシコ) | 1945/8/6 | 三次国民学校 | |
268 | NG062-05 | 三滝の竹やぶの中の仮収容所の人々。重傷の人の目、耳、口、傷口にわき体中を這うウジ。 | 大場 孝子(オオバ タカコ) | 1945/8/7 | 三滝の竹やぶ | |
269 | NG421-01 | 三滝の竹やぶに逃げる。近所の方に炊き出しで助けていただいた。兵隊さんが毛布で屋根を作ってくれた。 | 中本 秀子(ナカモト ヨシコ) | 1945/8/6 | 三滝の竹やぶ | |
270 | NG447 | 母親、弟妹と竹やぶで震えながら夜を明かす。市内は真っ赤な炎が見え、足元では多くの人が苦しんでいた。 | 渡部 治美(ワタナベ ハルミ) | 1945/8/6 | 三滝の竹やぶ | |
271 | NG375-02 | 草むらに一糸まとわぬ姿でパンパンにふくれ上がった親子らしい死体が北方向を向いて上向きに転がっていた。 | 沖 信枝(オキ ノブエ) | 1945/8/7 | 三滝山東南の草むら | |
272 | NG444 | けがをして助けを求めてきた男の子を背負い、三篠橋を渡る。 | 片桐 豊彦(カタギリ トヨヒコ) | 1945/8/6 | 三滝橋 | |
273 | NG127-01 | 突然の黒い雨。「重油が降っている。焼夷弾が落ちてくるぞ」の声に右往左往し、橋の下に避難した。 | 山本 茂(ヤマモト シゲル) | 1945/8/6、7 | 三滝石橋西詰 | |
274 | NG057 | 死体にかぶせたムシロをめくって母を捜す。真夏の太陽の下、耐えられない異臭がしていた。 | 桒本 勝子(クワモト カツコ) | 1945/8/8 | 三篠付近の土手 | |
275 | NG477-03 | 郊外に避難する負傷者、衣服はボロボロで、両腕は皮膚が肉から離れ、手袋をぶら下げているようだった。 | 山本 チエノ(ヤマモト チエノ) | 1945/8/6 | 三篠川の土手 | |
276 | NG310 | 爆風で家はこわれ体中にガラス片を受ける。恐怖で震えが止まらずおむすびも喉を通らなかった。 | 渡部 俊典(ワタナベ トシノリ) | 1945/8/6~8/7 | 三篠本町 | |
277 | NG127-02 | 三篠町あたりだったか防火用水槽に男女2人の死体があった。異臭が漂いハエがたかっていた。 | 山本 茂(ヤマモト シゲル) | 1945/8/7 | 三篠本町付近 | |
278 | NG470-01 | 爆風に飛ばされた馬車と宙吊りになった馬。下の川からは水を求める人たちのうめき声が聞こえてきた。 | 篠山 益治(ササヤマ エキジ) | 1945/8/7 | 三篠橋 | |
279 | NG264-02 | 川の中には遺体が流れ、それを救援の人たちが川原に引き上げ荼毘に付していた。 | 八木 義彦(ヤギ ヨシヒコ) | 1945/8/8 | 三篠橋の東側の川土手 | |
280 | NG102 | 水面に二重、三重にも折り重なり数え切れないほどの死体が浮いていた。 | 沖川 義雄(オキカワ ヨシオ) | 1945/8/7 | 三篠橋東詰 |