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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
121 NG289-02 クスノキの大木が爆風で倒れていた。 実藤 良三(サネトウ リョウゾウ) 1945/8/8 白神社
122 NG289-01 川に浮かぶたくさんの死体を引き上げ火葬する。相生橋の欄干は爆風で全部倒れていた。 実藤 良三(サネトウ リョウゾウ) 1945/8/8 相生橋
123 NG280-04 家族との再会。母は私の手をにぎり「よかったね」とあとは涙、涙、涙だった。 大西 比呂志(オオニシ ヒロシ) 1945/8/8 大河
124 NG277-04 学校の焼け跡。倒れた塀のがれきの中に見た頭蓋骨。女性らしく長い髪の毛があった。 盛生 倫夫(モリオ ミチオ) 1945/8/8 県立広島第一中学校
125 NG277-03 小川に沿って細長い溝が掘られ、中に薪を並べていた。たぶん遺体をそこで火葬するのだろうと思った。 盛生 倫夫(モリオ ミチオ) 1945/8/8 東練兵場
126 NG272 学校のプールの東側で見た若い女性の死体。地面に座ったまま半泣きの表情で爪が胸に立てられていた。 有村 ひろ子(アリムラ ヒロコ) 1945/8/8 県立広島第一中学校
127 NG271 プールや校庭で息絶えた中学生たち。道路側ではれんが塀が崩れ、多くの人々が下敷きになって死んでいた。 有村 行夫(アリムラ ユキオ) 1945/8/8 県立広島第一中学校
128 NG267-10 頭痛、めまい、下痢、吐き気を伴う食欲不振で起きられず兵舎で寝る。終日38度くらいの発熱に悩まされた。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/8 陸軍船舶司令部の兵舎
129 NG265 道端にある防空ごうに黒焦げになった死体を見た。腹帯をしていて妊婦のようだった。 中澤 彪(ナカザワ タケシ) 1945/8/8
130 NG264-02 川の中には遺体が流れ、それを救援の人たちが川原に引き上げ荼毘に付していた。 八木 義彦(ヤギ ヨシヒコ) 1945/8/8 三篠橋の東側の川土手
131 NG264-01 柳の大木は枝が引きちぎられ幹は焼け焦げていた。瓦礫の下や柳の根元には多くの友だちが倒れていた。 八木 義彦(ヤギ ヨシヒコ) 1945/8/8 白島国民学校
132 NG235 電灯の下、救護活動の兵隊に水を求める負傷者たち。薬は赤チンとリバノール液しかなかった。 平野 鈆三(ヒラノ ショウゾウ) 1945/8/8 陸軍病院疎開先の被災者収容所
133 NG227 トラックが運動場に入ってきて黒くこげた荷物をおろしていた。よく見るとそれは人間の死体だった。 山肩 和彦(ヤマガタ カズヒコ) 1945/8/8 大河国民学校
134 NG226-03 父は額を5針も縫う傷を負い両眼は失明状態であったが、竹の杖をたよりに一人で家に帰り着いた。 西山 勝登(ニシヤマ カツト) 1945/8/8 段原大畑町
135 NG223-03 軌道上の焼けただれた路面電車。まわりは見渡すかぎりの焼け野原だった。 熊木 久忠(クマキ ヒサタダ) 1945/8/8 大手町二丁目付近
136 NG223-02 防火用水槽の中で亡くなっていた人。静寂の中、その冥福を祈りつつ家路に向った。 熊木 久忠(クマキ ヒサタダ) 1945/8/8 常葉橋(常盤橋)付近
137 NG212-01 舟を取りにいくために川に入って見た水没した死体。病院の入院患者らしく白い着物を着ていた。 泉原 寅男(イズハラ トラオ) 1945/8/8 中国軍管区工兵補充隊近くの川
138 NG209-03 大八車に乗せられた黒焦げの軍服姿の死体。 小笠原 ツル子(オガサワラ ツルコ) 1945/8/8 広島高等師範学校附属国民学校入口
139 NG209-02 大正橋へ歩いて行く途中で見た舟の中の死体。真っ黒焦げで両手を上げて硬直していた。 小笠原 ツル子(オガサワラ ツルコ) 1945/8/8
140 NG208-05 西練兵場に収容された無数の死体。行方不明の姉を捜したが区別がつかずどうしようもなかった。 高橋 正明(タカハシ マサアキ) 1945/8/8 西練兵場

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