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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
81 NG199 塀のそばに横たわっていた黒焦げの死体。目と歯だけが白くいつまでもいつまでもその場所にあった。 池田 光男(イケダ ミツオ) 1945/8/8~8/9 広島刑務所
82 NG184-01 全身に包帯を巻かれてむしろに横たわる負傷者たち。そばでたかるハエをうちわであおぐ女性。 渡邊 武(ワタナベ タケシ) 1945/8/8~8/10頃 海田市駅前の梅田旅館の玄関
83 NG202-08 木片、木の葉、枝そして人が点々と浮いていて池の水は見えなかった。木陰にも人がいた。 中島 睦男(ナカジマ ムツオ) 1945/8/8~8/10 縮景園
84 NG040-05 陸軍幼年学校の校庭に生存者を収容する。傷の状態により軽傷者より宇品へ搬送する。死者は付近に集積。 貞森 幹夫(サダモリ ミキオ) 1945/8/8~ 広島陸軍幼年学校
85 NG469-04 岸に立てかけた焼トタンの下の死体 小笠原 昭道(オガサワラ ショウドウ) 1945/8/8頃 水主町近く
86 NG032 頭がかゆくて一睡もできないと訴える男性。腫れた部分からウジが何十、何百と落ちてきた。 正木 鏡子(マサキ キョウコ) 1945/8/8頃 小方国民学校
87 NG477-02 やけどで顔がはれ上がった負傷者たち。ハエが群がり、ウジがわき、水を求めながら亡くなった。 山本 チエノ(ヤマモト チエノ) 1945/8/8から約2週間 広島陸軍病院大芝分院、三入分院
88 NG303-03 炎天下のアスファルトの上の死体。眼球は飛び出し体液がにじみ出ていた。 松本 秀子(マツモト ヒデコ) 1945/8/8か、8/9 木挽町
89 NG482 防火用水槽の中に頭を突っ込んで亡くなっている人。 青木 尊美(アオキ タカミ) 1945/8/8 横川付近
90 NG478-09-02 兵隊の死体で足の踏み場もない西練兵場。暑さで腐敗し収容のため腕や足を持ち上げるとちぎれてくる。 辻口 清吉(ツジグチ セイキチ) 1945/8/8 西練兵場
91 NG478-09-01 兵隊の死体で足の踏み場もない西練兵場。暑さで腐敗し収容のため腕や足を持ち上げるとちぎれてくる。 辻口 清吉(ツジグチ セイキチ) 1945/8/8 西練兵場
92 NG469-01 赤ん坊を背負った婦人が真っ黒な死体の中から皮ベルトを目印に夫を見つける。 小笠原 昭道(オガサワラ ショウドウ) 1945/8/8 住吉神社境内
93 NG458 焼け野原にたたずむ子どもを背負った女性 西込 清美(ニシゴミ キヨミ) 1945/8/8 広島県産業奨励館
94 NG453-01 大きくふくれあがった馬の逆立ちした死体。子どもをトタン板でおおい運ぼうとして倒れている母親。 加茂 一三(カモ カズミ) 1945/8/8 八丁堀の電車道
95 NG448-02 全身火傷で薬も包帯もなく死を待つばかりの男性と女生徒 飯田 康雄(イイダ ヤスオ) 1945/8/8 学校の二階
96 NG437 川には真っ赤な死体が流れていた。相生橋まで行くと山積みした死体に油をかけて火葬していた。 天満 サダコ(テンマ サダコ) 1945/8/8 横川橋~相生橋~広島港
97 NG433-04 市内の道路という道路は死体がいっぱいで通れない。兵隊さんがトビ口で死体を集めて並べていた。 田邉 俊三郎(タナベ シュンザブロウ) 1945/8/8
98 NG363 遠縁の家に避難する途中、紙屋町交差点付近では、警防団の人が死体を集めて火葬していた。 横田 勝(ヨコタ マサル) 1945/8/8 紙屋町
99 NG330 背中が焼けて川に浮いていたアユ。それを手づかみで取って配給のにぎり飯のおかずにして食べた。 内田 照彦(ウチダ テルヒコ) 1945/8/8 常葉橋
100 NG318 水を求めて破れた水道管に集り、そのまま息絶えた人々。 青山 恭子(アオヤマ ヤスコ) 1945/8/8

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