トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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61 | NG159-01 | 焼け跡はまだ熱く、被爆者は、はだしはだかで「水を、水を」と助けを求めてきた。 | 西村 昇(ニシムラ ノボル) | 1945/8/9 | 横川橋付近 | |
62 | NG117-02 | 大八車で死体を猿猴川の土手に運び8カ所の穴に死体を入れてガソリンをかけて火葬する。 | 加茂 一三(カモ カズミ) | 1945/8/9 | 仁保国民学校近くの猿猴川の土手 | |
63 | NG116 | 天満川に出ている下水管の上に天を仰ぐように大の字で両手両足を上に上げていた全裸の死体。 | 近藤 幸子(コンドウ サチコ) | 1945/8/9 | 天満川 | |
64 | NG088-15 | 黒焦げになって死んだ軍馬。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/9 | ||
65 | NG088-14 | 広場に並べられた死体の中から身内を捜す人々。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/9 | 広島市内 | |
66 | NG088-12 | 防空ごうの中に避難しそのまま死んだ人。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/9 | 広島市内 | |
67 | NG088-11 | 広島陸軍兵器補給廠に収容された人々。3日間でほとんど死亡した。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/9 | 広島陸軍兵器補給廠 | |
68 | NG078-03 | 油をもらおうと大八車で行くがドラム缶のそばに人が死んでいるのを見てこわくなりやめる。 | 三上 光子(ミカミ ミツコ) | 1945/8/9 | ||
69 | NG075-02 | 黒く焼けた死体が並べられていた。自分が捜している人は見つからなかった。 | 原 敏子(ハラ トシコ) | 1945/8/9 | 牛田国民学校 | |
70 | NG069-12 | 生臭い風と布団のくすぶるようなにおいがした。広島駅のプラットホームの上の鉄橋がくずれていた。 | 田島 武雄(タジマ タケオ) | 1945/8/9 | 広島駅 | |
71 | NG069-11 | 建物の下敷きになった人を助け出す兵士たち。救援隊の中にも放射線の影響で倒れたり亡くなる人が出た。 | 田島 武雄(タジマ タケオ) | 1945/8/9 | ||
72 | NG069-02 | 駅前にたくさんの負傷者がいた。男女の区別もつかず髪はちぢれて肌に食い込んだ着物の布で女の人とわかった | 田島 武雄(タジマ タケオ) | 1945/8/9 | 矢賀駅 | |
73 | NG067-15 | 寮に収容して亡くなった人たちを裏山に運び、穴を掘り火葬する。 | 小林 豊(コバヤシ ユタカ) | 1945/8/9 | 日本製鋼所向洋工場の寮 | |
74 | NG067-14 | 寮で手当をしていたが亡くなった人を火葬するために担架にのせて裏山に運ぶ。 | 小林 豊(コバヤシ ユタカ) | 1945/8/9 | 日本製鋼所向洋工場の寮 | |
75 | NG055-01 | 幼なじみの友人を暁部隊の救護所で見つける。背中をやけどし毛布がくっついて動けない状態だった。 | 奥窪 和郎(オククボ カズオ) | 1945/8/9 | 坂村、暁部隊鯛尾倉庫 | |
76 | NG024-06 | 婦人会が炊き出ししたおにぎりを広島市に運ぶ。街には焼けただれ男女の区別もつかない人が多くいた。 | 河野 一郎(コウノ イチロウ) | 1945/8/9 | ||
77 | NG024-04 | 市内は焼け野原で、路面電車は横転してレールは曲がり、軍馬は腹がパンパンに腫れ上がって倒れていた。 | 河野 一郎(コウノ イチロウ) | 1945/8/9 | 横川駅 | |
78 | NG400-05 | 電気がついたと思い近寄って見ると電柱の先が炭火のようになって点灯しているように見えたのだった。 | 匿名 | 1945/8/8~8/9 | 袋町国民学校 | |
79 | NG258 | 黒焦げの死体の山の横で火傷にウジが這い回る姿の母、8歳の兄と5歳の私。 | 中村 正子(ナカムラ マサコ) | 1945/8/8~8/9 | 矢賀国民学校 | |
80 | NG256 | 食べ物の配給、広場に集められた負傷者、横転した汽車、馬の死体、母子と軍医、やけどした子どもたち。 | 菅野 俊雄(カンノ トシオ) | 1945/8/8~8/9 | 広島駅 |