トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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41 | NG314-29 | 駅前で特攻隊員らしき人がこぶしを上げて「戦争はこれからだ!」と叫んでいた。むなしかった。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 1945/8/9 | 広島駅前 | |
42 | NG292-01-39 | 爆心地近くの小川まで来たが橋がなく川に降りた。川の中は皮膚のはがれた死体が折り重なったいた。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/9 | 長崎県長崎市爆心地付近 | |
43 | NG292-01-38 | 線路の両側に裸の人たちが死んでいた。次の浦上駅まで続いているのかと思えるほど長い列だった。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/9 | 道ノ尾駅付近 | |
44 | NG292-01-37 | 列車が急停車した。車掌が「退避、敵機来襲」と走りながら叫ぶ。姉と列車の下に入り込んだ。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/9 | ||
45 | NG292-01-36 | 長崎方面から列車が着いた。広島で見たのと同じ焼けただれた負傷者で列車はあふれんばかりだった。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/9 | ||
46 | NG278-03 | 水を求めたのか大きな防火用水槽に頭を突っ込む形で焼死体が並んでいた。 | 八島 猛(ヤシマ タケシ) | 1945/8/9 | 福屋百貨店前 | |
47 | NG278-02 | 焼け跡で乳飲み子をしっかりと抱きかかえた母親の死体。 | 八島 猛(ヤシマ タケシ) | 1945/8/9 | 袋町付近 | |
48 | NG274-02 | 川のそばには兵隊さんの真っ黒焦げの死体が並べられていた。 | 橋本 マチヨ(ハシモト マチヨ) | 1945/8/9 | 相生橋付近 | |
49 | NG274-01 | 胸がただれてウジがわいている人。京橋川に流れる死体。 | 橋本 マチヨ(ハシモト マチヨ) | 1945/8/9 | 広島駅 | |
50 | NG241 | 警防団や兵隊さんが焼け跡から死体を集めていた。焼けて男女の見分けもつかなかった。 | 河野 寛治(コウノ ヒロハル) | 1945/8/9 | 左官町電停前 | |
51 | NG234-03 | 跡形もなくなった家で「皆無事五日市に居る」と書いた板を見つける。見た瞬間涙が出た。 | 吉村 義孝(ヨシムラ ヨシタカ) | 1945/8/9 | 自宅前 | |
52 | NG234-02 | 近所の叔母さんに会う。顔は真っ黒でやけどの水ぶくれが破れて皮膚があごからぶら下がっていた。 | 吉村 義孝(ヨシムラ ヨシタカ) | 1945/8/9 | 横川一丁目電停付近 | |
53 | NG234-01 | 異様な悪臭が鼻をつき見渡す限りがれきの山で所々で火葬の煙が灰色の空へ昇っていた。 | 吉村 義孝(ヨシムラ ヨシタカ) | 1945/8/9 | 横川一丁目電停付近 | |
54 | NG212-02 | 畳を三角形に組んで弟の遺体を火葬する娘。石垣から乗り出すようにしてひっくり返っている乗用車。 | 泉原 寅男(イズハラ トラオ) | 1945/8/9 | 広島城の西側 | |
55 | NG209-05 | 病棟の前庭、松の根元に並べられた毛布に包まれた死体。 | 小笠原 ツル子(オガサワラ ツルコ) | 1945/8/9 | 似島検疫所 | |
56 | NG172-04 | 火災のため真っ赤になった電柱。父を捜したが見つからず、8月の太陽に照りつけられ灼熱にボーッとなった。 | 楢原 裕子(ナラハラ ヒロコ) | 1945/8/9 | ||
57 | NG172-03 | 西練兵場付近で見た火ぶくれの黒い死体。作業後一休みの一服という人たちにも見えた。 | 楢原 裕子(ナラハラ ヒロコ) | 1945/8/9 | 西練兵場 | |
58 | NG172-02 | 力尽き息絶えた母子。その姿はまだ生きているようで赤ん坊は母親の乳をもとめているように見えた。 | 楢原 裕子(ナラハラ ヒロコ) | 1945/8/9 | 広島県産業奨励館東側 | |
59 | NG162-02 | 若い女性がボロボロになった肌着だけを着て防火用水槽の中で体を冷やしていた。 | 重安 久人(シゲヤス ヒサト) | 1945/8/9 | 廿日市駅前 | |
60 | NG162-01 | 7人の方が死亡した我が子をそれぞれ背負って備後十日市に帰るところを目撃した。 | 重安 久人(シゲヤス ヒサト) | 1945/8/9 | 広島駅から南へ1km交差点 |