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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
21 NG013-10 1カ月以上川を漂っていた女学生の遺体を、浜に引き上げ、砂の中に埋葬する。 高本 正義(タカモト マサヨシ) 1945/9/12 天満川河口付近、三菱重工業広島機械製作所前
22 NG013-09 1カ月以上川を漂っていた女学生の遺体をかわいそうに思い引き上げる。 高本 正義(タカモト マサヨシ) 1945/9/12 天満川河口付近、三菱重工業広島機械製作所前
23 NG013-08 女学生の遺体の首が無くなり胴体だけになる。毎朝、船尾に来ていた遺体はとうとう沖に流されていった。 高本 正義(タカモト マサヨシ) 1945/9/10 天満川河口付近、三菱重工業広島機械製作所前
24 NG311-03 体がだるく熱が出て床に着いた叔父。首の血管が浮き出てブドウのようになった。何の治療もできず亡くなる。 脇中 悦子(ワキナカ エツコ) 1945/9
25 NG025-02 抜けた髪の毛を持つ私。9月頃から発熱、脱毛し、眉毛まで抜けて丸坊主になる。一生涯外出できないと思い泣いた。 原田 みどり(ハラダ ミドリ) 1945/9
26 NG366 人影のない爆心地付近。突然ザーとふりそそいだせん光を浴びる。暗い焦土の中の赤い火を見つめる。 梅村 定二(ウメムラ サダジ) 1945/8/末、8/6、8/9 広島県産業奨励館、比治山下
27 NG301 一人の女性が木片を拾い集めて家族らしき遺体をだびに付していた。 飯田 誠造(イイダ セイゾウ) 1945/8/9~8/11 比治山
28 NG174-02 建物疎開作業中に被爆し全身大やけどを負った中学生がトラックに乗せられ帰ってきた。 中島 秋人(ナカシマ アキト) 1945/8/9頃 山県郡安野村役場
29 NG167-01 やけどした腕にキュウリもみを朝晩つけかえ2カ月くらいそれを続けてケロイドにならずにすんだ。 中田 輝子(ナカタ テルコ) 1945/8/9から2カ月くらい 佐伯郡観音村倉重
30 NG287-01 まだ所々に煙が立ちこわれた水道からでた水が道路に流れていた。焼けた路面電車には母子の焼死体があった。 白川 法光(シラカワ ノリミツ) 1945/8/9か、8/10 広島駅前
31 NG284-02 多くの重傷者がいたが薬がなく手当のしようがない。野菜を切って傷口に張った。 田口 清三郎(タグチ セイザブロウ) 1945/8/9か、8/10 広島市外の国民学校の救護所
32 NG064 がれきの街でリヤカーを引き中学生の息子を捜す夫婦。黒焦げの死体の口や股間からは内臓が飛び出ていた。 村田 満久(ムラタ ミチヒサ) 1945/8/9か、8/10 寺町
33 NG453-02 大八車で死体を猿猴川の土手に運び8カ所の穴に死体を入れてガソリンをかけて火葬する。 加茂 一三(カモ カズミ) 1945/8/9 仁保国民学校近くの猿猴川の土手
34 NG433-05 船のへさきの所に白くなった少年の死体が立ち泳ぎしているかのように漂っていた。 田邉 俊三郎(タナベ シュンザブロウ) 1945/8/9 瀬戸内海
35 NG426-05 「先生、足を切ってください」と頼む姉妹がいた。ムシロをはぐって見ると2人とも焼けただれていた。 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) 1945/8/9 己斐国民学校校舎内
36 NG426-04 木にすがってすわり親にウジをとってもらっていた。 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) 1945/8/9 己斐国民学校
37 NG426-02 防火用水槽の死体。新しい服装でたぶん警防団のひとだと思う。体がふくらんで皆下を向いて死んでいた。 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) 1945/8/9 白神社境内
38 NG426-01 倒れた軍馬と息絶え絶えで水を求めている兵隊を見る。 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) 1945/8/9 牛田町
39 NG364-04 家に帰ろうとして3日目に相生橋まで来る。橋の欄干はこわれ川や学校は死体でいっぱいだった。 河内 政子(コウチ マサコ) 1945/8/9 相生橋
40 NG354-06 被爆の3日後、己斐から西天満町間で初めて路面電車が動く。復旧一番電車で車掌として乗務した。 堀本 春野(ホリモト ハルノ) 1945/8/9 己斐から西天満町までの路面電車の中

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