トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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181 | NG002-09-02 | 学校の校庭らしい場所での火葬。子どもが多く、先生らしい死体もあった。 | 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) | 1945/8/7~8/9 | ||
182 | NG002-09-01 | 学校の校庭らしい場所での火葬。子どもが多く、先生らしい死体もあった。 | 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) | 1945/8/7~8/9 | ||
183 | NG002-08 | 死体置場で身内を探す人々。夫の死体を見つけ抱きかかえて泣く女性もいる。 | 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) | 1945/8/7~8/9 | ||
184 | NG002-07-02 | 重傷者を可部まで送るためにトラックに運ぶ。目も鼻もなく口だけ開けて「水をくれー」と叫ぶ負傷者 | 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) | 1945/8/7~8/9 | ||
185 | NG002-07-01 | 重傷者を可部まで送るためにトラックに運ぶ。目も鼻もなく口だけ開けて「水をくれー」と叫ぶ負傷者 | 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) | 1945/8/7~8/9 | ||
186 | NG002-06 | 広島駅前の焼けたトタンの上に並べられた死体から身内を捜す人々 | 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) | 1945/8/7~8/9 | 広島駅前 | |
187 | NG002-05 | 鉄骨だけが残った陸軍病院の内部、ベットの上に並ぶ黒焦げの焼死体 | 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) | 1945/8/7~8/9 | 陸軍病院 | |
188 | NG002-04-02 | 川に浮かんでいるおびただしい被災者の死体と軍馬の死体 | 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) | 1945/8/7~8/9 | ||
189 | NG002-04-01 | 川に浮かんでいるおびただしい被災者の死体と軍馬の死体 | 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) | 1945/8/7~8/9 | ||
190 | NG002-03-02 | 焼けた路面電車の中の腰掛けたままの乗客の死体 | 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) | 1945/8/7~8/9 | ||
191 | NG002-03-01 | 焼けた路面電車の中の腰掛けたままの乗客の死体 | 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) | 1945/8/7~8/9 | ||
192 | NG002-02 | 脱線し、爆風で吹き飛ばされた路面電車 | 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) | 1945/8/7~8/9 | ||
193 | NG002-01-02 | 川から引き上げた死体の火葬、骨つぼ代わりの弁当箱 | 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) | 1945/8/7~8/9 | ||
194 | NG002-01-01 | 川から引き上げた死体の火葬、骨つぼ代わりの弁当箱 | 牧野 俊介(マキノ シュンスケ) | 1945/8/7~8/9 | ||
195 | NG392-01 | 練兵場の一角では横長の穴を掘り死体を火葬していた。夜になってもそこだけ野火のように見えた。 | 梶矢 文昭(カジヤ フミアキ) | 1945/8/7~8/8頃 | 東練兵場 | |
196 | NG331-04 | 臨時の火葬場でだびの順番を待つ遺体。黒こげになり手足のちぎれた2体。木箱に入れられた男の子の遺体。 | 松長 静子(マツナガ シズコ) | 1945/8/7~8/8 | 南千田町 | |
197 | NG134-09 | 父は行方不明の伯父を捜して伯母を自転車に乗せ市内周辺の被災収容所をまわったが見つけられなかった。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/7~8/10 | ||
198 | NG024-19 | 列車で駅に着いた負傷者を十日市の国民学校に運ぶ。全身火傷で刀を杖に歩いている兵隊さんがいた。 | 河野 一郎(コウノ イチロウ) | 1945/8/7~8/10 | 双三郡十日市町 | |
199 | NG158-01 | 救護所になった海田市国民学校。ほとんどの人がやけどで皮ふがむけ誰か判別できない。 | 山岡 崇義(ヤマオカ タカヨシ) | 1945/8/7以後 | 海田国民学校 | |
200 | NG340 | 自宅焼け跡を掘り父の遺骨を見つけた。広島産業奨励館前では動員学徒たちが並んで死んでいた。 | 松井 妙子(マツイ タエコ) | 1945/8/7と8/8 | 広島県産業奨励館前、研屋町の自宅 |