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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1401 NG027 欄干の落ちた相生橋には、焼けただれた自転車や電線、骨組だけになった路面電車が残されていた。 島川 省三(シマカワ ショウゾウ) 1945/9/4 相生橋
1402 NG013-07 1カ月経っても女学生の遺体は船から離れない。足が無くなり、首と胴体だけになる。 高本 正義(タカモト マサヨシ) 1945/9/7 天満川河口付近、三菱重工業広島機械製作所前
1403 NG356-05 下痢と血便が続き、痩せて骸骨のようになった。それから半年間寝たままだった。 松尾 和子(マツオ カズコ) 1945/9~1946/2 牛田町の自宅
1404 NG156 昭和21年頃の千田国民学校の講堂の残骸。青空の下で石やがれきに腰かけて先生の話を聞いた。 吉田 誠(ヨシダ マコト) 1946 千田国民学校
1405 NG293-02 被爆の翌年の早春、がれきの下から緑が萌えているのを見た。熱いものがこみ上げ涙があふれてきた。 松島 道枝(マツシマ ミチエ) 1946/早春
1406 NG314-31 水爆実験即時停止、核兵器全面禁止、核兵器の国際管理を求める署名運動とチラシ配りを行う。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1954/4 阿佐ヶ谷駅
1407 NG314-32 水爆実験即時停止などの請願署名の訴えやビラ配りのあと警察官に尾行されていることがわかった。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1954/4 東京都杉並区
1408 NG314-35 杉並区内の被爆者の掘り起こしと組織化に取り組み杉並原爆被害者の会(光友会)が設立される。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1958/2/9 杉並公民館
1409 NG442 空鞘神社付近から原爆ドームに向けて撮った写真を図案化したもの。 秋田 サチヱ(アキタ サチエ) 1999頃 空鞘稲荷神社付近
1410 NG358-07 治療のため多くの負傷者が集まっていた。焼けた自転車で遺体を運んでいる人もいた。 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) 被爆から数日後 大河国民学校付近
1411 NG042-02 閃光で目が見えなくなった人、疎開から帰った子どもの母親との再会、担架で負傷者を運ぶ人。 山本 泰正(ヤマモト ヤスマサ) 被爆後5、6日(1945/8/10~8/11)

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