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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1341 NG069-11 建物の下敷きになった人を助け出す兵士たち。救援隊の中にも放射線の影響で倒れたり亡くなる人が出た。 田島 武雄(タジマ タケオ) 1945/8/9
1342 NG069-12 生臭い風と布団のくすぶるようなにおいがした。広島駅のプラットホームの上の鉄橋がくずれていた。 田島 武雄(タジマ タケオ) 1945/8/9 広島駅
1343 NG075-02 黒く焼けた死体が並べられていた。自分が捜している人は見つからなかった。 原 敏子(ハラ トシコ) 1945/8/9 牛田国民学校
1344 NG078-03 油をもらおうと大八車で行くがドラム缶のそばに人が死んでいるのを見てこわくなりやめる。 三上 光子(ミカミ ミツコ) 1945/8/9
1345 NG088-11 広島陸軍兵器補給廠に収容された人々。3日間でほとんど死亡した。 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) 1945/8/9 広島陸軍兵器補給廠
1346 NG088-12 防空ごうの中に避難しそのまま死んだ人。 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) 1945/8/9 広島市内
1347 NG088-14 広場に並べられた死体の中から身内を捜す人々。 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) 1945/8/9 広島市内
1348 NG088-15 黒焦げになって死んだ軍馬。 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) 1945/8/9
1349 NG116 天満川に出ている下水管の上に天を仰ぐように大の字で両手両足を上に上げていた全裸の死体。 近藤 幸子(コンドウ サチコ) 1945/8/9 天満川
1350 NG117-02 大八車で死体を猿猴川の土手に運び8カ所の穴に死体を入れてガソリンをかけて火葬する。 加茂 一三(カモ カズミ) 1945/8/9 仁保国民学校近くの猿猴川の土手
1351 NG159-01 焼け跡はまだ熱く、被爆者は、はだしはだかで「水を、水を」と助けを求めてきた。 西村 昇(ニシムラ ノボル) 1945/8/9 横川橋付近
1352 NG162-01 7人の方が死亡した我が子をそれぞれ背負って備後十日市に帰るところを目撃した。 重安 久人(シゲヤス ヒサト) 1945/8/9 広島駅から南へ1km交差点
1353 NG162-02 若い女性がボロボロになった肌着だけを着て防火用水槽の中で体を冷やしていた。 重安 久人(シゲヤス ヒサト) 1945/8/9 廿日市駅前
1354 NG172-02 力尽き息絶えた母子。その姿はまだ生きているようで赤ん坊は母親の乳をもとめているように見えた。 楢原 裕子(ナラハラ ヒロコ) 1945/8/9 広島県産業奨励館東側
1355 NG172-03 西練兵場付近で見た火ぶくれの黒い死体。作業後一休みの一服という人たちにも見えた。 楢原 裕子(ナラハラ ヒロコ) 1945/8/9 西練兵場
1356 NG172-04 火災のため真っ赤になった電柱。父を捜したが見つからず、8月の太陽に照りつけられ灼熱にボーッとなった。 楢原 裕子(ナラハラ ヒロコ) 1945/8/9
1357 NG209-05 病棟の前庭、松の根元に並べられた毛布に包まれた死体。 小笠原 ツル子(オガサワラ ツルコ) 1945/8/9 似島検疫所
1358 NG212-02 畳を三角形に組んで弟の遺体を火葬する娘。石垣から乗り出すようにしてひっくり返っている乗用車。 泉原 寅男(イズハラ トラオ) 1945/8/9 広島城の西側
1359 NG234-01 異様な悪臭が鼻をつき見渡す限りがれきの山で所々で火葬の煙が灰色の空へ昇っていた。 吉村 義孝(ヨシムラ ヨシタカ) 1945/8/9 横川一丁目電停付近
1360 NG234-02 近所の叔母さんに会う。顔は真っ黒でやけどの水ぶくれが破れて皮膚があごからぶら下がっていた。 吉村 義孝(ヨシムラ ヨシタカ) 1945/8/9 横川一丁目電停付近

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