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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1301 NG292-01-35 長崎に帰る途中汽車を待っていると話すとおばさんは娘さんが持っていた大きな桃を姉と私に分けてくれた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/8 下関駅
1302 NG292-02-21 路面電車の台だけが残りそのまわりに黒こげの死体が横たわっていた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/8 広島電鉄前
1303 NG292-02-22 目の前の焼け跡を見ていると灰の中から頭蓋骨がこちらを向いている。無数の白骨死体が見えた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/8 千田町
1304 NG292-02-23 空が黒くなるほど黒煙が上がっている。道路上では負傷者が泣き叫んでいた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/8 中国新聞社前
1305 NG292-02-24 たくさんの兵隊さんが忙しく動いている。建物から死体を集めて運び広場で火葬していた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/8 八丁堀付近
1306 NG292-02-25 広島駅をめざして鉄橋を渡る。線路にまたがり焼け残りの枕木に足を乗せて少しずつ進んだ。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/8
1307 NG292-02-26 がれきの山となった街を列車の窓から見る。長崎でまた同じ地獄を見ようとは夢にも思わなかった。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/8 広島駅
1308 NG304-08 子どものために炊事をしている女性。手当てしたあともなくやけどの傷をむき出しにしていた。 月原 四郎(ツキハラ シロウ) 1945/8/8 広陵中学校近く
1309 NG304-09 病院の横の道路わきには生きているのか死んでいるのか見当もつかない人が並べられていた。 月原 四郎(ツキハラ シロウ) 1945/8/8 宇品町
1310 NG304-10 道路にはやけどで生死もわからない人が無数に横たわっていた。全身やけどで死直前の警察官が歩いていた。 月原 四郎(ツキハラ シロウ) 1945/8/8 御幸橋付近
1311 NG315-08 半分倒壊した農家の庭先にたどりついた友人。看病するがその甲斐もなく3日目に亡くなる。 堀 幸隆(ホリ ユキタカ) 1945/8/8 安芸郡戸坂村
1312 NG318 水を求めて破れた水道管に集り、そのまま息絶えた人々。 青山 恭子(アオヤマ ヤスコ) 1945/8/8
1313 NG330 背中が焼けて川に浮いていたアユ。それを手づかみで取って配給のにぎり飯のおかずにして食べた。 内田 照彦(ウチダ テルヒコ) 1945/8/8 常葉橋
1314 NG363 遠縁の家に避難する途中、紙屋町交差点付近では、警防団の人が死体を集めて火葬していた。 横田 勝(ヨコタ マサル) 1945/8/8 紙屋町
1315 NG433-04 市内の道路という道路は死体がいっぱいで通れない。兵隊さんがトビ口で死体を集めて並べていた。 田邉 俊三郎(タナベ シュンザブロウ) 1945/8/8
1316 NG437 川には真っ赤な死体が流れていた。相生橋まで行くと山積みした死体に油をかけて火葬していた。 天満 サダコ(テンマ サダコ) 1945/8/8 横川橋~相生橋~広島港
1317 NG448-02 全身火傷で薬も包帯もなく死を待つばかりの男性と女生徒 飯田 康雄(イイダ ヤスオ) 1945/8/8 学校の二階
1318 NG453-01 大きくふくれあがった馬の逆立ちした死体。子どもをトタン板でおおい運ぼうとして倒れている母親。 加茂 一三(カモ カズミ) 1945/8/8 八丁堀の電車道
1319 NG458 焼け野原にたたずむ子どもを背負った女性 西込 清美(ニシゴミ キヨミ) 1945/8/8 広島県産業奨励館
1320 NG469-01 赤ん坊を背負った婦人が真っ黒な死体の中から皮ベルトを目印に夫を見つける。 小笠原 昭道(オガサワラ ショウドウ) 1945/8/8 住吉神社境内

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