トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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1261 | NG091-02 | 兵隊が防火用水槽の中の死体や散乱している死体を集め枕木を積み重ねて重油をかけて火葬した。 | 山崎 寛治(ヤマサキ カンジ) | 1945/8/8 | 現在の平和記念公園 | |
1262 | NG096-03 | 焼け跡で姉の夫と再会する。外見は無傷だったが、髪は真っ白になり頬はげっそりと痩せていた。 | 金行 清香(カネユキ キヨカ) | 1945/8/8 | 上流川町 | |
1263 | NG103-04 | 被爆調査に来た調査団による遺体の解剖。この少女は無傷なのに亡くなっていた。 | 内田 栄一(ウチダ エイイチ) | 1945/8/8 | 戸坂国民学校 | |
1264 | NG103-05 | 負傷して庄原に運ばれる途中の駅で偶然叔母と再会した少年兵。トマトを食べたがったがそのまま亡くなった。 | 内田 栄一(ウチダ エイイチ) | 1945/8/8 | 芸備線庄原駅の2、3手前の駅 | |
1265 | NG117-01 | 大きくふくれあがった馬の逆立ちした死体。子どもをトタン板でおおい運ぼうとして倒れている母親。 | 加茂 一三(カモ カズミ) | 1945/8/8 | 八丁堀の電車道 | |
1266 | NG142 | 当時4歳の唯一の記憶。家が燃えているか何が燃えているのかわからないがものすごい炎だった。 | 永尾 隆秀(ナガオ タカヒデ) | 1945/8/8 | ||
1267 | NG181-04 | 住吉神社の仮救護所より自宅に連れて帰る。 | 妙見 法彦(ミョウケン ノリヒコ) | 1945/8/8 | 水主町 | |
1268 | NG183-33 | おかあさんは山内西国民学校の仮設病院に入院した。広島に2人を捜しにいったおとうさんが戻ってきた。 | 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) | 1945/8/8 | 比婆郡山内西村の自宅 | |
1269 | NG208-02 | 20人くらいの人が防火用水槽に入り、灰色で水ぶくれの状態で亡くなっていた。 | 高橋 正明(タカハシ マサアキ) | 1945/8/8 | 十日市交差点北東側 | |
1270 | NG208-03 | 相生橋東側電車通りに米軍捕虜が電車の電柱に後ろ手に縛られ放置されていた。 | 高橋 正明(タカハシ マサアキ) | 1945/8/8 | 相生橋東側 | |
1271 | NG208-04 | 紙屋町交差点の「宇品方面より広島駅」行きの電車。車内の人は皆即死の状態だった。 | 高橋 正明(タカハシ マサアキ) | 1945/8/8 | 紙屋町交差点 | |
1272 | NG208-05 | 西練兵場に収容された無数の死体。行方不明の姉を捜したが区別がつかずどうしようもなかった。 | 高橋 正明(タカハシ マサアキ) | 1945/8/8 | 西練兵場 | |
1273 | NG209-02 | 大正橋へ歩いて行く途中で見た舟の中の死体。真っ黒焦げで両手を上げて硬直していた。 | 小笠原 ツル子(オガサワラ ツルコ) | 1945/8/8 | ||
1274 | NG209-03 | 大八車に乗せられた黒焦げの軍服姿の死体。 | 小笠原 ツル子(オガサワラ ツルコ) | 1945/8/8 | 広島高等師範学校附属国民学校入口 | |
1275 | NG212-01 | 舟を取りにいくために川に入って見た水没した死体。病院の入院患者らしく白い着物を着ていた。 | 泉原 寅男(イズハラ トラオ) | 1945/8/8 | 中国軍管区工兵補充隊近くの川 | |
1276 | NG223-02 | 防火用水槽の中で亡くなっていた人。静寂の中、その冥福を祈りつつ家路に向った。 | 熊木 久忠(クマキ ヒサタダ) | 1945/8/8 | 常葉橋(常盤橋)付近 | |
1277 | NG223-03 | 軌道上の焼けただれた路面電車。まわりは見渡すかぎりの焼け野原だった。 | 熊木 久忠(クマキ ヒサタダ) | 1945/8/8 | 大手町二丁目付近 | |
1278 | NG226-03 | 父は額を5針も縫う傷を負い両眼は失明状態であったが、竹の杖をたよりに一人で家に帰り着いた。 | 西山 勝登(ニシヤマ カツト) | 1945/8/8 | 段原大畑町 | |
1279 | NG227 | トラックが運動場に入ってきて黒くこげた荷物をおろしていた。よく見るとそれは人間の死体だった。 | 山肩 和彦(ヤマガタ カズヒコ) | 1945/8/8 | 大河国民学校 | |
1280 | NG235 | 電灯の下、救護活動の兵隊に水を求める負傷者たち。薬は赤チンとリバノール液しかなかった。 | 平野 鈆三(ヒラノ ショウゾウ) | 1945/8/8 | 陸軍病院疎開先の被災者収容所 |