トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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101 | NG110-03 | 浴槽の中の死体。 | 安原 義治(ヤスハラ ヨシハル) | |||
102 | NG114-04 | 市内電車から降りようとしている姿の黒焦げの女性の死体とその足元の赤ん坊の死体 | 小久保 三好(コクボ ミヨシ) | 白島線終点付近 | ||
103 | NG118 | きのこ雲と被爆して8月8日に亡くなった妹 | 奥井 裕子(オクイ ヒロコ) | |||
104 | NG120 | 身体中にガラスがささり、頭が20cmくらい割れ右腕関節に木がささったままの夫。 | 森岡 まさ子(モリオカ マサコ) | 甲奴郡甲奴村梶田の自宅 | ||
105 | NG124-02 | がれきの下敷きになった傷ついた人々。 | 竹中 宝(タケナカ タカラ) | |||
106 | NG124-03 | がれきの街の中で同級生と出会う。名前を聞かなければ本人とわからないくらいの重傷を負っていた。 | 竹中 宝(タケナカ タカラ) | |||
107 | NG125-01 | うす煙にかすんだような空気が漂う原爆ドームの中にもの悲しく寂びそうな少女の姿が浮かぶのを見た。 | 山田 須磨子(ヤマダ スマコ) | 原爆ドーム | ||
108 | NG129 | 身元不明のまま亡くなった多くの人々。誰にも手を合わせてもらうことなく山積みにされ運ばれていった。 | 岡崎 清美(オカザキ キヨミ) | 田舎のお寺の中庭 | ||
109 | NG130-04 | 大本営跡も広島城もなく、護国神社の鳥居だけが立っていた。山々の上の方の松の葉が焼けて赤くなっていた。 | 吉井 敏春(ヨシイ トシハル) | 広島城、広島護国神社、己斐方面の山、広島駅 | ||
110 | NG131-02 | たくさんの人が倒れていて、「お水、お水」と言われるが、水はなく畑に倒れているトマトをあげる。 | 後田 末美(ウシロダ スエミ) | 庚午の自宅近く | ||
111 | NG134-10 | 治療のため母に背負われて己斐国民学校に通う。母の背中から負傷者が横たわっているのをこわごわと見た。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 己斐国民学校救護所 | ||
112 | NG134-11 | 家は爆風でこわれすきまからは青空が見える。大やけどを負って寝たきりになり、バナナ籠の中で寝ていた。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 己斐の自宅 | ||
113 | NG134-12 | 己斐国民学校6年生。熱線で右半身をやけどする。傷口はベチャベチャになりハエやウジがたかった。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | |||
114 | NG136 | 大八車で運ばれる負傷者。皮膚ははがれハエがたかっていた。「痛いよー、水、水」という声が今も耳に残る。 | 高丸 恭仁子(タカマル キョウコ) | |||
115 | NG138-02 | 山に見えるだびの煙り。一面の瓦礫に死臭がただよい地獄の一面を見たようだった。 | 椋 忠六(ムク チュウロク) | |||
116 | NG149-02 | 焼け野原の中の火葬の煙り、さまよい歩く負傷者、防火用水槽の先生と子どもの死体。 | 杉浦 善蔵(スギウラ ゼンゾウ) | |||
117 | NG150 | 広島に派遣されていた兵隊たちが病気になり帰隊してきた。病気の原因も治療法もわからなかった。 | 天野 勝幸(アマノ カツユキ) | |||
118 | NG155-02 | 比治山の防空ごうと集められた死体の火葬 | 中島 和明(ナカジマ カズアキ) | 比治山公園 | ||
119 | NG157-02 | 目玉が飛び出し新タマネギのような色の内臓が胸の上に乗った黒焦げの死体 | 山中 昭子(ヤマナカ アキコ) | |||
120 | NG159-02 | 焼け跡はまだ熱く、被爆者は、はだしはだかで「水を、水を」と助けを求めてきた。 | 西村 昇(ニシムラ ノボル) | 横川橋付近 |