トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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181 | NG297 | 教室の中には大勢の人が横になっていた。おばあさんがトマトにしゃぶりついているのが異様に見えた。 | 西川 愛子(ニシカワ アイコ) | 矢賀国民学校 | ||
182 | NG304-01 | 表紙(爆心地より約1.5~3kmの惨状、昭和20年8月6日~10日の思い出) | 月原 四郎(ツキハラ シロウ) | |||
183 | NG314-01 | 原爆が落とされる前の広島駅。中央が鉄筋コンクリート造りで左右に木造の庁舎があった。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 広島駅 | ||
184 | NG314-33 | 水爆実験即時停止などを杉並区民に訴えるための杉並平和祭演劇公演を高円寺会館を借りて開催する。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 高円寺会館 | ||
185 | NG314-34 | 水爆実験即時停止、核兵器全面禁止、核兵器の国際管理を訴えた杉並平和美術展を開催する。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 杉並第一小学校 | ||
186 | NG314-36 | 米国のビキニ水爆実験をきっかけとして杉並区から全国に広まった原水禁署名運動について | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | |||
187 | NG314-37 | 被爆後の3日間の足跡 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | |||
188 | NG334-02 | 廃虚になった広島県産業奨励館 | 松長 雅二(マツナガ マサジ) | 広島県産業奨励館 | ||
189 | NG336-04 | 被爆死した父の帰りを待ち、男の人を見るたびに「おとうさんが帰ってきた」と追いかけていく妹。 | 青原 久子(アオバラ ヒサコ) | 安佐郡祇園町の自宅付近 | ||
190 | NG343-01 | 死体は手足が焼け落ち目や舌、腸が飛び出していた。馬も同様に死んでいた。 | 竹内 勇(タケウチ イサム) | 広島県産業奨励館付近 | ||
191 | NG343-02 | 遺体は道路に並べられ肉親・知人に引き取られるのを待った。 | 竹内 勇(タケウチ イサム) | |||
192 | NG343-03 | 中学生のものだろうか。包みは熱で焼けアルミの弁当箱だけがきちんと並べられた状態で残されていた。 | 竹内 勇(タケウチ イサム) | 西練兵場 | ||
193 | NG343-04 | 遺体は腐敗が始まったのでやむなく火葬し、氏名、性別、特徴等をできるだけ正確に記入し公表した。 | 竹内 勇(タケウチ イサム) | |||
194 | NG347 | やけどで皮膚はめくれ、「水、水」と水を求め、今にも息絶えそうな人でいっぱいだった。 | 加納 良三(カノウ リョウゾウ) | |||
195 | NG350 | 焼けだたれた負傷者たちの中にか細い声で叔母を呼ぶ叔父を発見した。叔父は4時間後に息を引き取った。 | 右谷 ユキコ(ミギタニ ユキコ) | 広島市信用組合本部 | ||
196 | NG353-01 | 赤黒くなった30歳くらいの女性の顔にウジが数匹いたがどうしてあげることもできなかった。 | 西村 正巳(ニシムラ マサミ) | 大野西国民学校(と思われる) | ||
197 | NG354-02 | 髪の毛が抜け体中に斑点が出て、やけどにはウジがわき亡くなっていく友だち、人々。 | 堀本 春野(ホリモト ハルノ) | 広島実践高等女学校講堂 | ||
198 | NG358-08 | 遺体の運搬を手伝う。道の横に松丸太を並べて遺体を置き松の枯枝をおおって火葬していた。 | 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) | 比治山神社の参道 | ||
199 | NG358-10 | 鉄橋がこわれたため天満川ははしけ舟で人々を運び路面電車と連絡した。そこには闇市ができにぎわった。 | 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) | 天満町電車専用橋 | ||
200 | NG359-02 | 被爆後何十年にも渡って現れた体の状況。 | 香藤 利枝(カトウ トシエ) |