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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
141 NG426-04 木にすがってすわり親にウジをとってもらっていた。 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) 1945/8/9 己斐国民学校
142 NG426-03 古いキャンパス地のテントのようなものが校庭にたくさん立っていた。 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) 県立広島第一高等女学校校庭
143 NG426-02 防火用水槽の死体。新しい服装でたぶん警防団のひとだと思う。体がふくらんで皆下を向いて死んでいた。 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) 1945/8/9 白神社境内
144 NG426-01 倒れた軍馬と息絶え絶えで水を求めている兵隊を見る。 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) 1945/8/9 牛田町
145 NG425 電車通りにトタン屋根で作られた応急の救護所。顔も体も赤黒く皆同じように見えた。 山中 雅夫(ヤマナカ マサオ) 1945/8/10 土橋から江波に向かう電車通り
146 NG424 橋の上は歩道も路面電車の軌道上も負傷者でいっぱいで、真中に人が通れるほどのはばが空けてあった。 別所 幸恵(ベッショ サチエ) 1945/8/6 御幸橋
147 NG423 多数の負傷者が橋の両側で泣き叫んでいた。 造力 晋(ゾウリキ ススム) 1945/8/6 比治山橋東詰
148 NG422 校舎の中は負傷者であふれ治療待ちの行列が延々と続いた。半死半生の人々が横たわり足の踏み場もなかった。 杉﨑 友昭(スギサキ トモアキ) 1945/8/6 己斐国民学校
149 NG421-02 外が真っ白く光り音が止み辺りを見ると屋根は吹きとんで無かった。父はタンスの下で意識がなかった。 中本 秀子(ナカモト ヨシコ) 1945/8/6 横川町三丁目の自宅
150 NG421-01 三滝の竹やぶに逃げる。近所の方に炊き出しで助けていただいた。兵隊さんが毛布で屋根を作ってくれた。 中本 秀子(ナカモト ヨシコ) 1945/8/6 三滝の竹やぶ
151 NG420 負傷者を乗せた馬車が家の前の道を大朝方面に向かって行く光景をその夏何度も目にした。 佐藤 教(サトウ オシエ) 山県郡川迫村上川戸の自宅前
152 NG419 必死に倒壊した家から這い出すと、道路は横川方面に向けて避難している人でいっぱいだった。 松富 光子(マツトミ ミツコ) 1945/8/6 広島別院前
153 NG418 くずれた屋根瓦の上で、おとうちゃん、おかあちゃんがこの下におるんじゃ!と泣き叫ぶ幼い男の子。 小野山 博子(オノヤマ ヒロコ) 1945/8/6 鷹野橋電停付近
154 NG417 被爆2週間後脱毛が始まった。頭に手をやると毛髪がバラバラと落ちた。 佐藤 良生(サトウ ヨシオ) 1945/8/20
155 NG416 バラバラと大粒の雨が降りだした。雨は真っ黒な砂まじりで上着や包帯を黒く汚した。 中村 雄子(ナカムラ ユウコ) 1945/8/6 己斐
156 NG415-05 下敷きになった女性が赤ん坊をささげて「どうかこの子を助けてください」と叫んでいた。 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/6 広島県産業奨励館
157 NG415-04 病院本部に報告することもできず町をさまよった。相生橋の上には路面電車は火災で真っ赤になっていた。 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/6 相生橋
158 NG415-03 火災に追われ川に降りて川沿いに逃げる人々。川の中には死体が浮かんでいる。 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/6
159 NG415-02 病院は全壊し歩く道もなかった。負傷した同僚をなんとか安全な場所に誘導しようとした。 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/6 広島第一陸軍病院前
160 NG415-01 建物疎開作業をしていた動員学徒たち。爆風に飛ばされ熱線でやけどし本川に向かって逃げた。 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/6 本川付近

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