トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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101 | NG441 | 中国軍管区司令部で竹やりの訓練中に被爆し、東練兵場で亡くなった妹。 | 範重 精三(ノリシゲ セイソウ) | 1945/8/6 | 中国軍管区司令部、東練兵場 | |
102 | NG440-03 | おかっぱ髪のセーラー服の少女にお水を下さいとせがまれたが持ち合わせがなく立ち去った。 | 志田 敏衛(シダ トシエ) | 1945/8/6~8/20頃 | 八丁堀付近(と思われる) | |
103 | NG440-02 | 負傷者を乗せたトラックが宇品方面に向かっていた。死者を大八車に乗せ縮景園に運び火葬した。 | 志田 敏衛(シダ トシエ) | 1945/8/6~8/20頃 | 縮景園付近 | |
104 | NG440-01 | 大八車を引いて路上の死体を収容した。路面電車のつり革に手を伸ばしたままの姿の死体もあった。 | 志田 敏衛(シダ トシエ) | 1945/8/6~8/20頃 | 縮景園付近 | |
105 | NG439-02 | 廃墟の中、焼けた路面電車が二両放置されていた。瓦礫からは無数の青白い燐光が立ち上がり消えていった。 | 中川 清(ナカガワ キヨシ) | 1945/9/13 | 広島駅 | |
106 | NG439-01 | 駅前は全く人気はなく街は瓦礫と化し市街をかこむ山々は茶褐色だった。 | 中川 清(ナカガワ キヨシ) | 1945/8/26 | 広島駅 | |
107 | NG438 | 山の上に色も形も見た事のない雲がどんどん上へ上へと上がりその内に空の雲と一緒になった。 | 宮川 八千代(ミヤカワ ヤチヨ) | 1945/8/6 | ||
108 | NG437 | 川には真っ赤な死体が流れていた。相生橋まで行くと山積みした死体に油をかけて火葬していた。 | 天満 サダコ(テンマ サダコ) | 1945/8/8 | 横川橋~相生橋~広島港 | |
109 | NG436-13 | 住み家を失った被災者が山の中腹にあった防空ごう近くのやぶの中に住んでいた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6~8/15 | 仁保町大河平台 | |
110 | NG436-12 | 立ち上がることができず座り込んでいると幸いにも知り合いのおばさんが私を見つけてくれた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 大河国民学校前 | |
111 | NG436-11 | ようやく母校にたどりつく。ほとんどの校舎は倒れていて屋内体操場と白鳩記念館がかろうじて立っていた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 広島女子商業学校 | |
112 | NG436-10 | この辺りは焼失は免れたが、破壊は大きく道路には、棚、柱、家庭用品などが所せましと散乱していた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 段原新町、段原中町 | |
113 | NG436-09 | 友人の道子さんを励ましながら逃げてきたが、道子さんは動けなくなって座り込んでしまった。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 金屋町 | |
114 | NG436-08 | 火災は拡大し火事嵐が吹き始めた。私たちがこの辺りに来たときはすでに倒れた家から火が出ていた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 旧松川町メイン通り付近 | |
115 | NG436-07 | 多聞院正面の入口につながる登り口にはたくさんの負傷者が力尽きて座っていた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 鶴見橋東詰から比治山西北方面の電車通り | |
116 | NG436-06 | 橋のたもとには被爆した多くの中学校、女学校の低学年の生徒が集まっていた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 鶴見橋辺り | |
117 | NG436-05 | 爆風が通過した後しばらくして崩壊した街の中から黒い煙の筋が幾本も立ちのぼった。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 鶴見町 | |
118 | NG436-04 | 建物疎開作業中に被爆した学徒たち。閃光に続いて爆風に襲われた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 鶴見町 | |
119 | NG436-03 | 防空頭巾をつけたまま空のB29爆撃機を見ているところで原爆の熱線を直接に浴びた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 鶴見町 | |
120 | NG436-02 | 広島女子商業学校1、2年生約500人と教職員が建物疎開の後片付けをしていた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 鶴見町 |