トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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181 | NG404-02 | 死んだ母親の乳房にすがりついたままの赤ん坊。防火用水槽に頭をつっこんだままの人。川を流れる死体。 | 森清 和恵(モリキヨ カズエ) | 1945/8/7 | ||
182 | NG404-01 | やけどして服もボロボロの人たちが避難してきた。寺の前で泣いている女の子を連れて逃げる。 | 森清 和恵(モリキヨ カズエ) | 1945/8/6 | 浄光寺 | |
183 | NG403 | 応急手当の治療が開始され負傷者が集まって来た。 | 小川 ヨシコ(オガワ ヨシコ) | 1945/8/6 | 広島赤十字病院 | |
184 | NG402 | 疎開していた学校に負傷者がたくさん来た。広島駅では外を見たらいけないと汽車の窓はよろい戸がおろされた | 池田 節子(イケダ セツコ) | 1945/8/6 | 向原国民学校、広島駅 | |
185 | NG401-07 | 母はやけどはだいぶよくなったが今度は気分が悪くなり大量の出血をして亡くなった。 | 梶田 瞳(カジタ ヒトミ) | |||
186 | NG401-06 | 避難所を変わることになりトラックに乗り府中国民学校に行った。たくさんの負傷者でいっぱいだった。 | 梶田 瞳(カジタ ヒトミ) | 府中国民学校 | ||
187 | NG401-05 | お寺の長い階段に並び救護班の治療を待つ。中々治療は受けられず母の傷は痛むばかりだった。 | 梶田 瞳(カジタ ヒトミ) | |||
188 | NG401-04 | 家にもどったが誰もいなかった。水道から水が吹き出し一斗缶の米は焼けて真っ黒になっていた。 | 梶田 瞳(カジタ ヒトミ) | 1945/8/6 | 金屋町 | |
189 | NG401-03 | 近所の子と出会う。おかあさんは?と聞いてもみないないと言って泣くばかりだった。 | 梶田 瞳(カジタ ヒトミ) | 1945/8/6 | ||
190 | NG401-02 | 赤い火の玉が落ちてきて火事だと思った瞬間ドンという大きな音がしてあたりは真っ暗になった。 | 梶田 瞳(カジタ ヒトミ) | 1945/8/6 | 広島鉄道局印刷場 | |
191 | NG401-01 | お寺で勉強していた弟は即死し近所の人が遺骨を拾ってくれた。 | 梶田 瞳(カジタ ヒトミ) | 1945/8/6 | 専立寺付近 | |
192 | NG400-05 | 電気がついたと思い近寄って見ると電柱の先が炭火のようになって点灯しているように見えたのだった。 | 匿名 | 1945/8/8~8/9 | 袋町国民学校 | |
193 | NG400-04 | クスノキの大木があったが地面から1、2mの黒こげの幹を残して跡形もなくなっていた。 | 匿名 | 国泰寺 | ||
194 | NG400-03 | 全焼した電車。車内の北側寄りには黒こげのマネキン人形のような立ったままの死体があった。 | 匿名 | 1945/8/7 | 日本銀行広島支店前 | |
195 | NG400-02 | 缶詰工場跡で缶詰がポーンと爆発して飛び上がり頭上に落ちるのをトタンで避けながら缶詰を拾う人々。 | 匿名 | 1945/8/7 | 舟入町付近 | |
196 | NG400-01 | 学校より東方を望む。広島の空は火災で真っ赤だった。 | 匿名 | 1945/8/6 | 市立第二国民学校 | |
197 | NG399-03 | 原爆投下2年前、自宅近くの柳橋のふもとの川で見た赤いカニ。 | 河野 しのぶ(カワノ シノブ) | 1943 | 柳橋のたもと | |
198 | NG399-02 | 腕がザクロのように裂けている母親。背中の赤ん坊は死んでぶら下がっていた。 | 河野 しのぶ(カワノ シノブ) | |||
199 | NG399-01 | 防空ごうの入口で目を開けたまま死んでいる男の子。 | 河野 しのぶ(カワノ シノブ) | |||
200 | NG398 | 鍋に川の水を運んでわかしていた。「水をください。」という人に鍋の湯をさましては飲ませてあげた。 | 根本 小夜子(ネモト サヨコ) | 1945/8/6 | 縮景園近く |