トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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121 | NG423 | 多数の負傷者が橋の両側で泣き叫んでいた。 | 造力 晋(ゾウリキ ススム) | 1945/8/6 | 比治山橋東詰 | |
122 | NG116 | 天満川に出ている下水管の上に天を仰ぐように大の字で両手両足を上に上げていた全裸の死体。 | 近藤 幸子(コンドウ サチコ) | 1945/8/9 | 天満川 | |
123 | NG478-09-02 | 兵隊の死体で足の踏み場もない西練兵場。暑さで腐敗し収容のため腕や足を持ち上げるとちぎれてくる。 | 辻口 清吉(ツジグチ セイキチ) | 1945/8/8 | 西練兵場 | |
124 | NG478-09-01 | 兵隊の死体で足の踏み場もない西練兵場。暑さで腐敗し収容のため腕や足を持ち上げるとちぎれてくる。 | 辻口 清吉(ツジグチ セイキチ) | 1945/8/8 | 西練兵場 | |
125 | NG478-08 | 川原で死体を火葬する。身元はほとんどわからない。川にはまだ一面の死体が浮いていた。 | 辻口 清吉(ツジグチ セイキチ) | 1945/8/7 | (基町と思われる) | |
126 | NG478-07 | 川一面に浮く多くの死体 | 辻口 清吉(ツジグチ セイキチ) | 1945/8/7 | 元安川 | |
127 | NG478-06 | 被爆した路面電車の中の焼死体。 | 辻口 清吉(ツジグチ セイキチ) | 1945/8/7 | ||
128 | NG478-05 | つぶれた防空ごうの中の若い母子、多くの人々が泥水の中に埋もれて死んでいた。 | 辻口 清吉(ツジグチ セイキチ) | 1945/8/7 | ||
129 | NG478-04 | マンホールの中から助けを求める全身やけどの女性。焼けただれた顔を気にしていた。 | 辻口 清吉(ツジグチ セイキチ) | 1945/8/7 | 広島県産業奨励館付近 | |
130 | NG478-03 | やけどした兵隊。帽子を境に顔・首・手は焼けただれ手の皮は垂れ下がっていた。 | 辻口 清吉(ツジグチ セイキチ) | 1945/8/6 | 西練兵場 | |
131 | NG478-02 | 全身やけどで目の見えない6歳くらいの男の子。両親や兄弟のことを一晩中語りあかし亡くなった。 | 辻口 清吉(ツジグチ セイキチ) | 1945/8/6 | 憲兵隊の住宅の地下室(基町と思われる) | |
132 | NG478-01 | 真っ黒にこげた死体が横たわり炎の中からは助けを求める声が聞こえた。 | 辻口 清吉(ツジグチ セイキチ) | 1945/8/6 | 陸軍船舶司令部(暁部隊)から西練兵場に向かう途中 | |
133 | NG177 | 相生橋に流れついた数百人もの死体。すべてうつぶせで浮かんでいた。思わず合掌し涙を流した。 | 辰岩 秀子(タツイワ ヒデコ) | 1945/8/13 | 相生橋 | |
134 | NG017-02 | 真暗闇の中で焼かれて助けを求めている人達 | 辰岡 綾子(タツオカ アヤコ) | 1945/8/6 | ||
135 | NG017-01 | 火に囲まれて逃げ惑う人々 | 辰岡 綾子(タツオカ アヤコ) | 1945/8/6 | ||
136 | NG058 | 福屋百貨店少し左側より真っ直ぐ天に登っていく煙を見る。 | 赤松 光(アカマツ ヒカル) | 1945/8/6 | 広島高等師範学校附属中学校 | |
137 | NG261 | バスの中は傷ついた若い女性でいっぱいだった。田舎道を走るバスがゆれるたびに悲鳴やうめき声があがった。 | 賀川 里子(カガワ サトコ) | 1945/8/7 | 被爆女性(河内駅より豊栄行きのバスの中) | |
138 | NG479 | 「兵隊さん、目が見えない」と言って寄ってきた男の子。皮膚は焼けただれ垂れさがっていた。 | 賀川 将(カガワ ススム) | 1945/8/6 | 比治山 | |
139 | NG070 | 大八車に積み込んだむすびを負傷者に配る。みな食欲がなく、ただ水を求めるのみだった。 | 賀川 博(カガワ ヒロシ) | 1945/8/6 | 中国軍管区輜重兵補充隊中庭 | |
140 | NG040-06 | 熱線を受けやけどを負った市民と兵隊。兵士は帽子をかぶっていたため、頭頂部に髪の毛が残っていた。 | 貞森 幹夫(サダモリ ミキオ) |