トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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61 | NG204-03 | 防火用水槽の女性の死体。白髪まじりの長い髪は水にゆらぎ水面から出ている背中は赤銅色に焼けていた。 | 香川 嘉久(カガワ ヨシヒサ) | 1945/8/7 | 白島線の一筋東側の道路 | |
62 | NG204-02 | 小柄な母親に手を引かれた4歳くらいの男の子と2歳くらいの女の子。 | 香川 嘉久(カガワ ヨシヒサ) | 1945/8/7 | 広島女学院高等女学校 | |
63 | NG204-01 | 橋で兵士が隊列を組んだまま重なり合って死んでいた。欄干と自転車にはさまれた少年の死体もあった。 | 香川 嘉久(カガワ ヨシヒサ) | 1945/8/7 | 栄橋 | |
64 | NG394 | 2歳くらいの子どもとその母親らしい女性の死体。母は手を前に伸ばし子どもに近づこうとしていた。 | 香口 真作(コウグチ シンサク) | 1945/8/7 | 白神社 | |
65 | NG301 | 一人の女性が木片を拾い集めて家族らしき遺体をだびに付していた。 | 飯田 誠造(イイダ セイゾウ) | 1945/8/9~8/11 | 比治山 | |
66 | NG448-02 | 全身火傷で薬も包帯もなく死を待つばかりの男性と女生徒 | 飯田 康雄(イイダ ヤスオ) | 1945/8/8 | 学校の二階 | |
67 | NG448-01 | 道路や川の中の真っ黒な死体、路面電車、欄干のなくなった橋 | 飯田 康雄(イイダ ヤスオ) | 1945/8/7 | ||
68 | NG408-02 | 午後黒い雨が降る。夕方皮膚がたれさがった人たちに会う。救護所で負傷者の看病を手伝う。川原での火葬。 | 青江 万里子(アオエ マリコ) | 1945/8/6以降 | 安佐郡可部町大字上原 | |
69 | NG408-01 | ピカッと光り窓に走り寄ると広島のあたりからもくもくと赤か橙色のものが立ち上っていた。 | 青江 万里子(アオエ マリコ) | 1945/8/6 | 可部国民学校 | |
70 | NG482 | 防火用水槽の中に頭を突っ込んで亡くなっている人。 | 青木 尊美(アオキ タカミ) | 1945/8/8 | 横川付近 | |
71 | NG318 | 水を求めて破れた水道管に集り、そのまま息絶えた人々。 | 青山 恭子(アオヤマ ヤスコ) | 1945/8/8 | ||
72 | NG336-06 | 原爆のことをピカドンと呼んでいた。昭和20年8月6日はピカドンで始まりピカドンで終わった一日だった。 | 青原 久子(アオバラ ヒサコ) | 1945/8/6 | 安佐郡祇園町の自宅 | |
73 | NG336-05 | 後障害に苦しみ髪の毛が抜け始めた母。柿のしぶがいいと聞き毎日もらいに行って母に飲ませた。 | 青原 久子(アオバラ ヒサコ) | 1945/8/6以降 | 安佐郡祇園町の自宅 | |
74 | NG336-04 | 被爆死した父の帰りを待ち、男の人を見るたびに「おとうさんが帰ってきた」と追いかけていく妹。 | 青原 久子(アオバラ ヒサコ) | 安佐郡祇園町の自宅付近 | ||
75 | NG336-03 | 夜、真っ赤に燃え続ける市内。 | 青原 久子(アオバラ ヒサコ) | 1945/8/6 | 安佐郡祇園町の自宅 | |
76 | NG336-02 | 祇園町の自宅より市内にきのこ雲が上がるのを見る。 | 青原 久子(アオバラ ヒサコ) | 1945/8/6 | 安佐郡祇園町の自宅 | |
77 | NG336-01 | 障子が真っ黄色になったのを部屋の中から見る。「あらっ」と思った時ドーンという音がした。 | 青原 久子(アオバラ ヒサコ) | 1945/8/6 | 安佐郡祇園町の自宅 | |
78 | NG074-02 | せん光・爆音に馬は驚いて立ち上がった。黒い雨にぬれた人たちが避難してきた。己斐駅から負傷者を運んだ。 | 関 孝三(セキ コウゾウ) | 1945/8/6~8/8 | 宮内村~廿日市町までの堤道、己斐駅、広島駅 | |
79 | NG074-01 | 宮内村から廿日市町に向かう途中、B29を見る。その後せん光と爆音があり、きのこ雲が上がった。 | 関 孝三(セキ コウゾウ) | 1945/8/4~8/6 | 広島市内、佐伯郡宮内村~廿日市町 | |
80 | NG295 | 向原国民学校からきのこ雲を見る。学校は陸軍病院になっていて、原爆被災者の収容所になった。 | 門橋 政子(モンバシ マサコ) | 1945/8/6 | 向原国民学校 |