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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
41 NG415-04 病院本部に報告することもできず町をさまよった。相生橋の上には路面電車は火災で真っ赤になっていた。 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/6 相生橋
42 NG415-03 火災に追われ川に降りて川沿いに逃げる人々。川の中には死体が浮かんでいる。 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/6
43 NG415-02 病院は全壊し歩く道もなかった。負傷した同僚をなんとか安全な場所に誘導しようとした。 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/6 広島第一陸軍病院前
44 NG415-01 建物疎開作業をしていた動員学徒たち。爆風に飛ばされ熱線でやけどし本川に向かって逃げた。 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/6 本川付近
45 NG136 大八車で運ばれる負傷者。皮膚ははがれハエがたかっていた。「痛いよー、水、水」という声が今も耳に残る。 高丸 恭仁子(タカマル キョウコ)
46 NG200 日本晴れの良い天気だった。学校から帰り道、約1kmくらいの所で真っ赤な雲を見た。 高下 武人(コウゲ タケト) 1945/8/6 山県郡戸河内町字川手
47 NG165-07 橋下の水面の多くの流木の間に赤く腫れ上がった数体の遺体が浮かんでいた。 駒田 保(コマダ タモツ) 1945/8/11 天満橋東詰橋下
48 NG165-06 防火用水槽の中に真っ黒になった遺体が数体。周囲にも2、3体あった。市内には火葬の煙りが上がっていた。 駒田 保(コマダ タモツ) 1945/8/11 相生橋西側
49 NG165-05 愛宕踏切を渡るとその一帯の建物は見あたらず、浄光寺の焼け残りの山門があるのみだった。 駒田 保(コマダ タモツ) 1945/8/11 浄光寺
50 NG165-04 たくさんの負傷者の中に子供をかかえ横腹に木片が刺さって苦しんでいる男性がいた。 駒田 保(コマダ タモツ) 1945/8/6 広島市役所前辺り
51 NG165-03 紙屋町付近は火災であたり一帯は朝霧のように白煙が充満しつつあった。 駒田 保(コマダ タモツ) 1945/8/6 尾道町付近(現NHK広島放送局辺り)
52 NG165-02 シャツはボロボロになり、顔、腕、手の甲辺りの皮膚が剥げ、たれ下がっている人々。 駒田 保(コマダ タモツ) 1945/8/6 南大橋東詰付近
53 NG165-01 倒壊した工場からはい出し市女の生徒たちに会う。 駒田 保(コマダ タモツ) 1945/8/6 帝国兵器
54 NG359-02 被爆後何十年にも渡って現れた体の状況。 香藤 利枝(カトウ トシエ)
55 NG359-01 きのこ雲。赤い光が自分の頭に向かってきて当たった。飛行機が悪魔のように見えた。 香藤 利枝(カトウ トシエ) 1945/8/6 吉川
56 NG107-03 広島市上空のB29と投下された落下傘。わきあがる爆煙。 香川 清(カガワ キヨシ) 1945/8/6 丹那の山の中
57 NG107-02 爆風のため地面に倒れ、その後頭を上げて市内中心部を見る。原爆投下直後の爆雲。 香川 清(カガワ キヨシ) 1945/8/6 丹那の山の中
58 NG107-01 丹那の山の中で作業中に見た原爆投下前のB29と落下傘。落下傘につけられた装置がコーラの缶程度に見えた。 香川 清(カガワ キヨシ) 1945/8/6 丹那の山の中
59 NG204-05 人だかりがあり、近寄ってみると不思議と手押しポンプが生きていて水が出た。 香川 嘉久(カガワ ヨシヒサ) 1945/8/14 相生橋西
60 NG204-04 焼け残った電柱に革のジャンパーを着た外人飛行士が一人、後ろ手にされうなだれて座っていた。 香川 嘉久(カガワ ヨシヒサ) 1945/8/7 相生橋東

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