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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
161 NG391-05 縮景園前の防火用水槽には多くの人々がむらがって顔や手を洗っていた。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6 縮景園前の白島線電車通り
162 NG391-06 川州に乗り上げた舟を漕ぎ出そうとする人。川で傷口や顔を洗う人、水を求めてそのまま亡くなる人。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6 神田橋
163 NG391-07 橋の両岸とも火災が発生しやむをえず川の砂浜で過ごした。姉がいないかと捜したが見当たらなかった。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6 神田橋西詰め
164 NG391-08 小学校の同級生が軍服を着て足早に歩いていたが声をかけても興奮していて見向きもしてくれなかった。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6 白島九軒町の土手筋
165 NG391-09 焼けゆく我が家を見つめる母と子の姿。負傷した子供を抱く母の姿が印象的だった。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6
166 NG391-10 水を求めて砂浜に集まる人々。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6 京橋川、白島九軒町付近(と思われる)
167 NG263-01 自宅の焼け跡近くに何体かの黒焦げの死体があった。家の近所の人かもしれないと思った 加川 宏(カガワ ヒロシ) 1945/8/6 昭和町の自宅近く
168 NG263-02 爆風で橋の欄干の片方は歩道に倒れ片方は川に落ちて無かった。 加川 宏(カガワ ヒロシ) 比治山橋
169 NG263-03 国泰寺の大クスノキ。焼け残った木が遠くから良く見えた。 加川 宏(カガワ ヒロシ) 国泰寺
170 NG263-04 駅前から遠い宇品沖の似島が見えた。妹は似島で10日の昼頃亡くなっていたがその時はまだわからなかった。 加川 宏(カガワ ヒロシ) 1945/8/6 広島駅前
171 NG263-05 夜、横川あたりから段々と北へ北へと火災が続いて、音もなく家が焼けていくのが見えた。 加川 宏(カガワ ヒロシ) 1945/8/6 安芸郡府中町茂陰
172 NG263-06 防火用水槽が焼け跡に並んでいた。その後ろにはそれぞれ家が建っていたのに何もなく瓦礫のみだった。 加川 宏(カガワ ヒロシ)
173 NG263-07 宇品に行くために汽車に乗る。客車でなく貨物車両を使っていた。 加川 宏(カガワ ヒロシ) 宇品線
174 NG263-08 ピカッと光ってドンーという音の後、木の葉やトタン片、土ほこりがバラバラ降ってきた。 加川 宏(カガワ ヒロシ) 1945/8/6
175 NG454-01 大けがを負った娘を背負った近所の人。内臓が出た姿に何も言えず、とても悲しかった。 加治野 康子(カジノ ヤスコ) 1945/8/6 舟入町
176 NG347 やけどで皮膚はめくれ、「水、水」と水を求め、今にも息絶えそうな人でいっぱいだった。 加納 良三(カノウ リョウゾウ)
177 NG117-01 大きくふくれあがった馬の逆立ちした死体。子どもをトタン板でおおい運ぼうとして倒れている母親。 加茂 一三(カモ カズミ) 1945/8/8 八丁堀の電車道
178 NG117-02 大八車で死体を猿猴川の土手に運び8カ所の穴に死体を入れてガソリンをかけて火葬する。 加茂 一三(カモ カズミ) 1945/8/9 仁保国民学校近くの猿猴川の土手
179 NG453-01 大きくふくれあがった馬の逆立ちした死体。子どもをトタン板でおおい運ぼうとして倒れている母親。 加茂 一三(カモ カズミ) 1945/8/8 八丁堀の電車道
180 NG453-02 大八車で死体を猿猴川の土手に運び8カ所の穴に死体を入れてガソリンをかけて火葬する。 加茂 一三(カモ カズミ) 1945/8/9 仁保国民学校近くの猿猴川の土手

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