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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1361 NG165-03 紙屋町付近は火災であたり一帯は朝霧のように白煙が充満しつつあった。 駒田 保(コマダ タモツ) 1945/8/6 尾道町付近(現NHK広島放送局辺り)
1362 NG165-04 たくさんの負傷者の中に子供をかかえ横腹に木片が刺さって苦しんでいる男性がいた。 駒田 保(コマダ タモツ) 1945/8/6 広島市役所前辺り
1363 NG165-05 愛宕踏切を渡るとその一帯の建物は見あたらず、浄光寺の焼け残りの山門があるのみだった。 駒田 保(コマダ タモツ) 1945/8/11 浄光寺
1364 NG165-06 防火用水槽の中に真っ黒になった遺体が数体。周囲にも2、3体あった。市内には火葬の煙りが上がっていた。 駒田 保(コマダ タモツ) 1945/8/11 相生橋西側
1365 NG165-07 橋下の水面の多くの流木の間に赤く腫れ上がった数体の遺体が浮かんでいた。 駒田 保(コマダ タモツ) 1945/8/11 天満橋東詰橋下
1366 NG200 日本晴れの良い天気だった。学校から帰り道、約1kmくらいの所で真っ赤な雲を見た。 高下 武人(コウゲ タケト) 1945/8/6 山県郡戸河内町字川手
1367 NG136 大八車で運ばれる負傷者。皮膚ははがれハエがたかっていた。「痛いよー、水、水」という声が今も耳に残る。 高丸 恭仁子(タカマル キョウコ)
1368 NG415-01 建物疎開作業をしていた動員学徒たち。爆風に飛ばされ熱線でやけどし本川に向かって逃げた。 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/6 本川付近
1369 NG415-02 病院は全壊し歩く道もなかった。負傷した同僚をなんとか安全な場所に誘導しようとした。 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/6 広島第一陸軍病院前
1370 NG415-03 火災に追われ川に降りて川沿いに逃げる人々。川の中には死体が浮かんでいる。 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/6
1371 NG415-04 病院本部に報告することもできず町をさまよった。相生橋の上には路面電車は火災で真っ赤になっていた。 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/6 相生橋
1372 NG415-05 下敷きになった女性が赤ん坊をささげて「どうかこの子を助けてください」と叫んでいた。 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/6 広島県産業奨励館
1373 NG471-01 突然ピカッと光り、われるような音が耳をつんざき、きのこのような異様な形の雲が空に舞い上がった。 高安 豊司(タカヤス トヨシ) 1945/8/6 川内から緑井の間あたり
1374 NG471-02 全身やけどで川岸で重なり合って死んでいる人、助けを求める人 高安 豊司(タカヤス トヨシ) 1945/8/6 祇園町、安川の川土手
1375 NG471-03 死んだと思っていた父が遠くからパンクした自転車を引きながら帰って来た。 高安 豊司(タカヤス トヨシ) 1945/8/6 川内の自宅近く
1376 NG471-04 家の下敷きになり火災が迫まる中、蚊帳を歯で食いちぎって中にいる子どもを助けだす。 高安 豊司(タカヤス トヨシ) 1945/8/6 観音本町の自宅(と思われる)
1377 NG471-05 火災に囲まれ、子供を抱いて川の中に飛び込む。流れて来た大きなたらいをかぶって熱さをしのぐ 高安 豊司(タカヤス トヨシ) 1945/8/6 福島川(と思われる)
1378 NG471-06 負傷した兵隊の看護に婦人会の女性があたる。顔も唇もはれあがり焼けただれた傷口にはウジがわいた。 高安 豊司(タカヤス トヨシ) 亀山の救護所
1379 NG151-01 妹と外で遊んでいて工場の屋根の上に白いきのこ雲を見る。ムクムクと大きくなりピンク色になった。 高岡 恵美子(タカオカ エミコ) 1945/8/6 呉市広長浜
1380 NG151-02 妹と外で遊んでいて工場の屋根の上に白いきのこ雲を見る。ムクムクと大きくなりピンク色になった。 高岡 恵美子(タカオカ エミコ) 1945/8/6 呉市広長浜

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