menu

トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。

前へ

次へ

検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1241 NG192-02 突然目の前にせん光が走ったような気がした。ごう音が聞こえ西北の空に異様な煙が見えた。 藤本 盛男(フジモト モリオ) 1945/8/6 呉市神原町
1242 NG188-01 大八車を引いたままの姿勢で死んだ3人の兵士。裸で剣と軍靴と革脚胖だけが残っていた。 藤本 英雄(フジモト ヒデオ) 1945/8/7 相生橋
1243 NG188-02 腸が飛び出した牛。耳と目を押さえふせた姿勢の死体。幼児をしっかりと抱きかかえた死体。 藤本 英雄(フジモト ヒデオ) 1945/8/7 左官町付近
1244 NG077 宇品方面上空に原爆さく裂の瞬間を見る。松林は一瞬黄金色に輝きしばらくしてドンと大きな音がした。 西 幸雄(ニシ ユキオ) 1945/8/6 宮島包ヶ浦海岸
1245 NG378 病院にいたが十分な治療も食事もなく捜しに来てくれた兄に大八車に乗せられて実家に帰る。 西中 健太郎(ニシナカ ケンタロウ) 1945/8/10
1246 NG226-01 病院の内外には足の踏み場もないほどの負傷者であふれていた。不眠不休の救護活動が続けられた。 西山 勝登(ニシヤマ カツト) 広島赤十字病院
1247 NG226-02 一瞬の閃光と爆風に広島は壊滅した。道路は負傷者のうめき声とがれきでいっぱいだった。 西山 勝登(ニシヤマ カツト)
1248 NG226-03 父は額を5針も縫う傷を負い両眼は失明状態であったが、竹の杖をたよりに一人で家に帰り着いた。 西山 勝登(ニシヤマ カツト) 1945/8/8 段原大畑町
1249 NG215-01 中年の女性が「殺してくれ」と大声で叫びながら苦しんでいた。頭と顔には血のりがべっとりついていた。 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 1945/8/6 県立広島工業学校入口
1250 NG215-02 助けを求める女学生たち。身につけているのは下着のゴムひもだけで焼けた皮膚がたれさがっていた。 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 1945/8/6 県立広島工業学校入口
1251 NG132 建物疎開作業で被爆死した息子を捜しあて運んできた叔父を手伝って真夜中に大八車で可部まで行く。 西崎 俊夫(ニシザキ トシオ) 1945/8/6 安佐郡祇園町~安佐郡可部町
1252 NG297 教室の中には大勢の人が横になっていた。おばあさんがトマトにしゃぶりついているのが異様に見えた。 西川 愛子(ニシカワ アイコ) 矢賀国民学校
1253 NG198 川土手に出て逃げようとすると黒い雨が降り出した。途中軍隊のトラックの荷台に乗せてもらう。 西本 澄子(ニシモト スミコ) 1945/8/6 西観音町一丁目
1254 NG201 叔父を迎えにいく。熱線をまともに浴び顔はやけどで声を聞いてやっと本人とわかった。 西村 八千代(ニシムラ ヤチヨ) 1945/8/6 安芸郡戸坂村
1255 NG092 立ったまま死んでいる馬。手綱を持った馬車引きのおじさんも膝を組んで座ったまま死んでいた。 西村 成隆(ニシムラ ナリタカ) 寺町
1256 NG159-01 焼け跡はまだ熱く、被爆者は、はだしはだかで「水を、水を」と助けを求めてきた。 西村 昇(ニシムラ ノボル) 1945/8/9 横川橋付近
1257 NG159-02 焼け跡はまだ熱く、被爆者は、はだしはだかで「水を、水を」と助けを求めてきた。 西村 昇(ニシムラ ノボル) 横川橋付近
1258 NG353-01 赤黒くなった30歳くらいの女性の顔にウジが数匹いたがどうしてあげることもできなかった。 西村 正巳(ニシムラ マサミ) 大野西国民学校(と思われる)
1259 NG353-02 きのこ雲の上にさらに薄ピンク色の雲が浮かんでいた。きのこ雲とともに北の方へ流れていった。 西村 正巳(ニシムラ マサミ) 1945/8/6 佐伯郡大野村の自宅
1260 NG285 行方不明の子どもを残して逃げる人。避難途中の死者。助けを求める人々。水を求めて川に向かって行く人。 西村 礼珠(ニシムラ レイジュ) 1945/8/6 上天満町

前へ

次へ

Page Top