menu

トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。

前へ

次へ

検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
101 NG052-02 その夜の広島は火災で人の霊も炎となった。ほの黄色く見えたのはきっと人の霊だと思う。 佐々木 智佐子(ササキ チサコ) 1945/8/6
102 NG052-03 黒焦げとなって倒れていた軍馬の死体。 佐々木 智佐子(ササキ チサコ) 大手町六丁目辺り
103 NG052-04 火災で黒焦げになり炭のようになった人と立木。 佐々木 智佐子(ササキ チサコ) 広島市役所辺り
104 NG190-01 黒い雨が降り出し土管の中で雨が止むまで過ごした。 佐々木 澄江(ササキ スミエ) 1945/8/6 福島町
105 NG190-02 大やけどの女性をローソクの明かりの中で家族みなで看病する。 佐々木 澄江(ササキ スミエ) 1945/8/6 己斐国民学校付近
106 NG190-03 焼け跡にバラック小屋を建てて家族4人で暮らす。夜は大きな煙突が恐ろしかったが、星はきれいだった。 佐々木 澄江(ササキ スミエ) 1945/8/20頃 西観音町の缶詰工場の焼け跡
107 NG420 負傷者を乗せた馬車が家の前の道を大朝方面に向かって行く光景をその夏何度も目にした。 佐藤 教(サトウ オシエ) 山県郡川迫村上川戸の自宅前
108 NG406-01 水を求める学徒たちの声が倉庫に響く。1人1人に名前を聞いてまわる。死んだ母親の乳を吸う赤ん坊。 佐藤 泰子(サトウ ヤスコ) 1945/8/6 広島陸軍被服支廠
109 NG406-02 姉の弁当箱と2人の白骨を見つける。どちらが姉かわからないので両方の骨の一部を持ち帰った。 佐藤 泰子(サトウ ヤスコ) 1945/8/7 東保健所
110 NG417 被爆2週間後脱毛が始まった。頭に手をやると毛髪がバラバラと落ちた。 佐藤 良生(サトウ ヨシオ) 1945/8/20
111 NG099-01 きのこ雲。ピカッと光って大きな音がし、驚いて泣きながら家に帰った。 作本 征二(サクモト セイジ) 1945/8/6 安佐郡戸山村阿戸
112 NG099-02 きのこ雲。ピカッと光って大きな音がし、驚いて泣きながら家に帰った。 作本 征二(サクモト セイジ) 1945/8/6 安佐郡戸山村阿戸
113 NG099-03 きのこ雲。ピカッと光って大きな音がし、驚いて泣きながら家に帰った。 作本 征二(サクモト セイジ) 1945/8/6 安佐郡戸山村阿戸
114 NG011 焼けた路面電車の中で座ったままの黒焦げの乗客、車外に倒れて「お客さん、逃げてください」と叫ぶ運転手 児玉 冨美子(コダマ フミコ) 1945/8/6 国泰寺
115 NG462-01 半身に大やけどを負った友人。 児玉 宇多子(コダマ ウタコ) 1945/8/6 青崎国民学校
116 NG462-02 防火用水槽の水を飲もうとする大やけどを負った人。 児玉 宇多子(コダマ ウタコ) 1945/8/6 青崎一丁目の国道沿いの防火用水槽
117 NG312 鋭い閃光と大きな爆発音に外に飛び出すと西の空はるかに2つの旗がゆらりゆらりと漂い流れていった。 児玉 時春(コダマ トシハル) 1945/8/6 広島県立農事試験場
118 NG278-01 祖父が畑に用意してくれた寝床で家族4人で野宿する。火災で夜空は真っ赤に染まっていた。 八島 猛(ヤシマ タケシ) 1945/8/6 皆実町
119 NG278-02 焼け跡で乳飲み子をしっかりと抱きかかえた母親の死体。 八島 猛(ヤシマ タケシ) 1945/8/9 袋町付近
120 NG278-03 水を求めたのか大きな防火用水槽に頭を突っ込む形で焼死体が並んでいた。 八島 猛(ヤシマ タケシ) 1945/8/9 福屋百貨店前

前へ

次へ

Page Top