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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
21 NG202-09 校庭で子どもたちの上に先生が覆いかぶさりかばうようにして亡くなっていた。 中島 睦男(ナカジマ ムツオ) 1945/8/6 千田国民学校
22 NG174-01 山越しに上がる黒煙と舞い降りてくる焦げた紙片や伝票。やがて黒い雨が降ってきた。 中島 秋人(ナカシマ アキト) 1945/8/6 山県郡安野村
23 NG174-02 建物疎開作業中に被爆し全身大やけどを負った中学生がトラックに乗せられ帰ってきた。 中島 秋人(ナカシマ アキト) 1945/8/9頃 山県郡安野村役場
24 NG439-01 駅前は全く人気はなく街は瓦礫と化し市街をかこむ山々は茶褐色だった。 中川 清(ナカガワ キヨシ) 1945/8/26 広島駅
25 NG439-02 廃墟の中、焼けた路面電車が二両放置されていた。瓦礫からは無数の青白い燐光が立ち上がり消えていった。 中川 清(ナカガワ キヨシ) 1945/9/13 広島駅
26 NG219-01 ひん死の重傷者がところせましと寝かされていた。やけどで皮膚ははがれ手の施しようがなかった。 中平 武司(ナカヒラ タケシ) 1945/8/6 比治山登り口付近
27 NG219-02 川の中は犠牲者でいっぱいだった。水の流れがなく同じ遺体が幾日も浮いていた。 中平 武司(ナカヒラ タケシ) 1945/8/6 稲荷町電車専用橋付近
28 NG219-03 身寄りも分からないまま亡くなった人々をだびに付しその性別特徴など書いて骨箱に貼り道に並べた。 中平 武司(ナカヒラ タケシ) 1945/8/10~8/15 的場町
29 NG421-01 三滝の竹やぶに逃げる。近所の方に炊き出しで助けていただいた。兵隊さんが毛布で屋根を作ってくれた。 中本 秀子(ナカモト ヨシコ) 1945/8/6 三滝の竹やぶ
30 NG421-02 外が真っ白く光り音が止み辺りを見ると屋根は吹きとんで無かった。父はタンスの下で意識がなかった。 中本 秀子(ナカモト ヨシコ) 1945/8/6 横川町三丁目の自宅
31 NG258 黒焦げの死体の山の横で火傷にウジが這い回る姿の母、8歳の兄と5歳の私。 中村 正子(ナカムラ マサコ) 1945/8/8~8/9 矢賀国民学校
32 NG416 バラバラと大粒の雨が降りだした。雨は真っ黒な砂まじりで上着や包帯を黒く汚した。 中村 雄子(ナカムラ ユウコ) 1945/8/6 己斐
33 NG210-01 護国神社の大鳥居の下の黒焦げの死体。 中津 久子(ナカツ ヒサコ) 1945/8/7 広島護国神社
34 NG210-02 息を引き取った赤ん坊を抱き「今まで乳を飲んでいたのに」と悲痛な叫び声を上げる母親。 中津 久子(ナカツ ヒサコ) 仁保町
35 NG210-03 焼け残った木のわずかな日陰で水を求める子ども。青いトマトを頼まれるままにあげた。 中津 久子(ナカツ ヒサコ) 1945/8/7 天満川川岸
36 NG210-04 腹のふくれた馬の死体、赤くむけた足の男性の死体。 中津 久子(ナカツ ヒサコ) 1945/8/7 大正橋
37 NG210-05 収容された子どもたち。名前はわからずボール紙の番号札がつけられていた。 中津 久子(ナカツ ヒサコ) 比治山国民学校
38 NG265 道端にある防空ごうに黒焦げになった死体を見た。腹帯をしていて妊婦のようだった。 中澤 彪(ナカザワ タケシ) 1945/8/8
39 NG242-01 橋のたもとで倒れていた馬とその首を枕にして横になり亡くなっていた馬車引きの人。 中田 政彦(ナカタ マサヒコ) 横川橋
40 NG242-02 橋のたもとで倒れていた馬とその首を枕にして横になり亡くなっていた馬車引きの人。 中田 政彦(ナカタ マサヒコ) 横川橋

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