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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
261 NG234-01 異様な悪臭が鼻をつき見渡す限りがれきの山で所々で火葬の煙が灰色の空へ昇っていた。 吉村 義孝(ヨシムラ ヨシタカ) 1945/8/9 横川一丁目電停付近
262 NG234-02 近所の叔母さんに会う。顔は真っ黒でやけどの水ぶくれが破れて皮膚があごからぶら下がっていた。 吉村 義孝(ヨシムラ ヨシタカ) 1945/8/9 横川一丁目電停付近
263 NG234-03 跡形もなくなった家で「皆無事五日市に居る」と書いた板を見つける。見た瞬間涙が出た。 吉村 義孝(ヨシムラ ヨシタカ) 1945/8/9 自宅前
264 NG270-01 真っ黒に焼け焦げた市内電車と倒れた建物、まわりに横たわる黒焦げの死体。 吉村 貞人(ヨシムラ サダト) 1945/8/13、1945/8/14 広島駅前
265 NG270-02 青竹の爆心地側は熱線で焼けていた。女性が子どもを連れて食べ物を探し歩いていた。 吉村 貞人(ヨシムラ サダト) 1945/8/16頃 饒津神社付近
266 NG156 昭和21年頃の千田国民学校の講堂の残骸。青空の下で石やがれきに腰かけて先生の話を聞いた。 吉田 誠(ヨシダ マコト) 1946 千田国民学校
267 NG023-01 腸は全部飛び出し、口を開け、目をむいて転がっている馬の死体 名原 武子(ナバラ タケコ) 1945/8/7 天満町
268 NG023-02 こわれた土塀にすがって死んでいる男の人の目と口の中にはウジがぎっしりといて動いていた。 名原 武子(ナバラ タケコ) 1945/8/7 天満町
269 NG023-03 背中の竹筒に白い骨をたくさん入れてひとりで歩いている小さな女の子 名原 武子(ナバラ タケコ) 1945/8/7 土橋
270 NG134-01 8月6日朝8時12分頃己斐国民学校校庭へ集まる。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/8/6 己斐国民学校校庭
271 NG134-02 サイレンが聞こえB29が上空へ1機。白いキラキラ光るものが落ちてきた。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/8/6 己斐国民学校校庭
272 NG134-03 何が起きたのかわからなかった。目の前は真っ白、青、オレンジ、赤、黄色とかわりやがて真っ暗になった。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/8/6 己斐国民学校校庭
273 NG134-04 やっと我に返ると校舎の方から黒い風が吹きつけてきた。隣の山の横穴へみんなで逃げる。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/8/6 己斐国民学校校庭
274 NG134-05 顔、手、足が赤く熱くヒリヒリと痛むので谷川の水につけて冷やす。全裸の人々が山へ向かって避難してきた。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/8/6 己斐国民学校近く
275 NG134-06 友達と二人で裏山へ逃げ三菱の疎開工場へ。山頂から見た広島市内の火災のようす。火炎地獄のようだった。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/8/6 三菱重工業疎開工場
276 NG134-07 山を降りるとやけどの人々が列をなしていた。道沿いに座り込む人、寝る人、泣き叫ぶ人でいっぱいだった。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/8/6 己斐町
277 NG134-08 夜、妻を呼びながら息絶えた朝鮮の人の声が忘れられない。東の空は火災で真っ赤だった。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/8/6 己斐町
278 NG134-09 父は行方不明の伯父を捜して伯母を自転車に乗せ市内周辺の被災収容所をまわったが見つけられなかった。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/8/7~8/10
279 NG134-10 治療のため母に背負われて己斐国民学校に通う。母の背中から負傷者が横たわっているのをこわごわと見た。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 己斐国民学校救護所
280 NG134-11 家は爆風でこわれすきまからは青空が見える。大やけどを負って寝たきりになり、バナナ籠の中で寝ていた。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 己斐の自宅

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