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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
241 NG146 若い女の人が赤い裾よけ一枚身につけ3、4歳の女の子の手を引き避難していた。 古霜 艶子(フルシモ ツヤコ) 1945/8/6 比治山橋西詰
242 NG350 焼けだたれた負傷者たちの中にか細い声で叔母を呼ぶ叔父を発見した。叔父は4時間後に息を引き取った。 右谷 ユキコ(ミギタニ ユキコ) 広島市信用組合本部
243 NG472-01 燃料会館(元大正屋呉服店) 右近 明敏(ウコン アキトシ) 1945/8/7 中島本町
244 NG472-02 道端に横たわる黒い死体と瓦れきの街 右近 明敏(ウコン アキトシ) 1945/8/7 中島本町
245 NG130-01 線路近くの民家の屋根の一部が北方からの爆風で曲がった屋根を列車の中から見て恐怖を感じた。 吉井 敏春(ヨシイ トシハル) 1945/9/3 向洋付近
246 NG130-02 駅から西方に機関車が倒れていた。ホームの屋根はなく降りる客もあまりいない。 吉井 敏春(ヨシイ トシハル) 1945/9/3 広島駅
247 NG130-03 福屋ビル2階の窓にはムシロを吊り下げていた。広島駅から八丁堀に向かい千田町付近まで見る。 吉井 敏春(ヨシイ トシハル) 1945/9/3 福屋
248 NG130-04 大本営跡も広島城もなく、護国神社の鳥居だけが立っていた。山々の上の方の松の葉が焼けて赤くなっていた。 吉井 敏春(ヨシイ トシハル) 広島城、広島護国神社、己斐方面の山、広島駅
249 NG326-01 夜あちこちで遺体が荼毘に付され、やけどや傷を負った人々のうめき声が聞こえた。 吉岡 隆子(ヨシオカ タカコ) 1945/8/6 宇品の土手
250 NG326-02 夜あちこちで遺体が荼毘に付され、やけどや傷を負った人々のうめき声が聞こえた。 吉岡 隆子(ヨシオカ タカコ) 1945/8/6 宇品の土手
251 NG367-01 私が小さい時に会った人。「あの人は広島で『ピカドン』にやられた人よ」と大人の人が教えてくれた。 吉弘 五津美(ヨシヒロ イツミ)
252 NG367-02 父は警防団として広島に行った。死体をトラックで運び、山積みにして油をかけて火葬したそうだ。 吉弘 五津美(ヨシヒロ イツミ)
253 NG299-01 空が急に明るくなり傘を広げたように閃光が降ってきた。次の瞬間ドーンと音がして爆風に飛ばされた。 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) 1945/8/6 広島鉄道局広島工機部
254 NG299-02 『アメリカが新型爆弾を投下した。市内に立入禁止』と立て札があった。踏切の向こうは火の海だった。 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) 1945/8/6 愛宕踏切
255 NG299-03 衣服は引き裂け皮膚はたれ下がりこの世の人とは思えぬ姿の負傷者たち。声も立てず黙々と郊外へ逃げていく。 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) 1945/8/6 広島鉄道局広島工機部付近の川土手
256 NG299-04 市内から温品、戸坂方面に避難する負傷者たち。ボロボロの衣服をまとい血みどろだった。 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) 1945/8/6 広島鉄道局広島工機部付近
257 NG299-05 空をおおう猛火とボロボロの衣服をまとった血みどろの負傷者。応急手当に食用油をぬっている。 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) 1945/8/6 千田町
258 NG299-06 血みどろで、この世の人とは思えぬ姿で、声もなく郊外へ逃れていく負傷者たち。 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) 1945/8/6 広島鉄道局広島工機部付近
259 NG299-07 市内から温品、戸坂方面に避難するボロボロの衣服をまとった血みどろの負傷者。 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) 1945/8/6 広島鉄道局広島工機部付近
260 NG395 真っ白い雲が市内全体をおおって入道雲のように立ち上り、その中から異様なものが噴出していた。 吉村 紫朗(ヨシムラ シロウ) 1945/8/6 広島駅裏

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