トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。
一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。
検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
---|---|---|---|---|---|---|
221 | NG371-01 | 建物疎開作業中B29が飛んできて落下傘を投下する。その後せん光と熱風で地面にたたきつけられた。 | 原 達郎(ハラ タツオ) | 1945/8/6 | 鶴見橋のたもと近く | |
222 | NG371-02 | 背中に熱風を感じ息をすると異臭がした。目を開けると夜のように薄暗くなっていた。 | 原 達郎(ハラ タツオ) | 1945/8/6 | 鶴見橋のたもと近く | |
223 | NG371-03 | 建物は倒壊し、多数の死者が横たわり、生存者は大やけど負い半狂乱で逃げ惑っていた。 | 原 達郎(ハラ タツオ) | 1945/8/6 | 鶴見橋のたもと近く | |
224 | NG371-04 | 広島市は三日三晩夜空をこがして燃え続けた。 | 原 達郎(ハラ タツオ) | 安芸郡坂村の疎開先の家 | ||
225 | NG371-05 | やけどの傷からうみが出てきた。薬がなくキュウリをすりおろしたものを患部につけてもらった。 | 原 達郎(ハラ タツオ) | 安芸郡坂村の疎開先の家 | ||
226 | NG025-01 | 大きな穴を掘って死亡者を入れ、油をかけて火葬する。僧侶だった兵隊さんがお経を上げた。 | 原田 みどり(ハラダ ミドリ) | 1945/8/8 | 広島陸軍兵器補給廠 | |
227 | NG025-02 | 抜けた髪の毛を持つ私。9月頃から発熱、脱毛し、眉毛まで抜けて丸坊主になる。一生涯外出できないと思い泣いた。 | 原田 みどり(ハラダ ミドリ) | 1945/9 | ||
228 | NG275 | 全身が焼けただれ片目がとび出た男性がこちらに向かって歩いてきた。その後は火災だった。 | 原田 勇(ハラダ イサム) | 1945/8/6 | 比治山橋 | |
229 | NG335-01 | 被爆した女生徒たちが水を求めてさまよっていた。水をあげようとしたが憲兵に注意されできなかった。 | 原田 敬二(ハラダ ケイジ) | 1945/8/6 | ||
230 | NG335-02 | 被爆した女生徒たちが水を求めてさまよっていた。水をあげようとしたが憲兵に注意されできなかった。 | 原田 敬二(ハラダ ケイジ) | 1945/8/6 | ||
231 | NG335-03 | がれきの中に2~3倍にふくれあがった若い兵士の遺体が整然と並べられているのを見た。 | 原田 敬二(ハラダ ケイジ) | 1945/8/7か、8/8 | 広島東警察署 | |
232 | NG335-04 | 川には無数の死体が浮かび、水をあげられなかった少女たちも川に飛び込むのではないかと悔やまれた。 | 原田 敬二(ハラダ ケイジ) | 1945/8/6 | 住吉橋 | |
233 | NG335-05 | 疎開先から父を捜しに入市する。父の勤め先の中国地方総監府は黒煙を吹き出して燃えていた。 | 原田 敬二(ハラダ ケイジ) | 1945/8/6 | 広島文理科大学(中国地方総監府) | |
234 | NG016 | 男女の区別もつかないほどの大火傷を負い、水を求めてうめき続ける人々。 | 原田 義久(ハラダ ヨシヒサ) | 1945/8/6 | 南大橋 | |
235 | NG186 | 「お母さん!!」黙々と避難する被災者の列の中、奇跡的に再会、抱き合って泣き崩れた母と私 | 古井 ナツコ(フルイ ナツコ) | 1945/8/6 | ||
236 | NG066 | 負傷者はみな帽子をかぶっていた部分だけ残して髪の毛は焼けていた。焼けただれた肌にはウジがわいた。 | 古本 徳夫(フルモト トクオ) | 三入国民学校 | ||
237 | NG384-01 | かすかなブーンという音に私は双眼鏡を持って庭の柿の木に登った。あれは日本の飛行機ではない。 | 古林 和夫(コバヤシ カズオ) | 1945/8/6 | 翠町の自宅 | |
238 | NG384-02 | 柿の木を下りて縁側横に立ち庭をふと振り返ったとたんピカッと光った。 | 古林 和夫(コバヤシ カズオ) | 1945/8/6 | 翠町の自宅 | |
239 | NG384-03 | ドーンという音とともに屋根瓦がガラガラと雨のように目の前に落ちてきた。 | 古林 和夫(コバヤシ カズオ) | 1945/8/6 | 翠町の自宅 | |
240 | NG384-04 | 数時間後、雑魚場町へ建物疎開作業に行っていた母がやけどを負い帰ってきた。 | 古林 和夫(コバヤシ カズオ) | 1945/8/6 | 翠町弥生通り |