トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
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No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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181 | NG355 | 負傷者で橋はいっぱいだった。その中で助けを求める中年の女性の姿と叫び声が忘れられない。 | 加藤 久男(カトウ ヒサオ) | 1945/8/6 | 住吉橋 | |
182 | NG034-01 | 炎に包まれた校舎から下敷きになった男の子を救出する。 | 加藤 義典(カトウ ヨシノリ) | 1945/8/6 | 段原国民学校 | |
183 | NG034-02 | 倒壊した校舎の下敷きになった子どもを助けることができず、ただ手を握り、声をかけるだけだった。 | 加藤 義典(カトウ ヨシノリ) | 1945/8/6 | 段原国民学校 | |
184 | NG034-03 | 倒れた柱に手をはさまれた女の子、火が迫ってくるが助け出すことができない。 | 加藤 義典(カトウ ヨシノリ) | 1945/8/6 | 段原国民学校 | |
185 | NG388 | 壊れた家屋の下敷きになった人、子どもを抱いて死亡している母親、やけどした手を前に出して避難する人。 | 北升 喜蔵(キタマス キゾウ) | 1945/8/6 | 水主町 | |
186 | NG429 | 放送局玄関の斜め左道路の中央南に向かって黒いものがあった。幼児を左腕に抱えた母親の死体だった。 | 北村 弘(キタムラ ヒロシ) | 1945/8/7 | 広島中央放送局前 | |
187 | NG090 | 家の下敷きから抜け出し赤ん坊を抱いて逃げる。途中黒い雨に会い夜やっと指定避難場所の学校にたどりつく。 | 1945/8/6 | 東観音町、福島川川岸、草津国民学校 | ||
188 | NG191 | 空襲警報で山に逃げ、そこで見た雲が「入道雲とは思えない。」と不思議だった。 | 匿名 | 1945/8/6 | 呉市広町 | |
189 | NG249-01 | シュークリームそっくりだった不思議な雲は形を変えて上へ下へと広がっていった。 | 1945/8/6 | 高田郡本村 | ||
190 | NG249-02 | 家がゆれ何事かと外に飛び出すと山の上に雲のかたまりがぽっかりと浮かんでいた。 | 1945/8/6 | 高田郡本村 | ||
191 | NG249-03 | 家がゆれ何事かと外に飛び出すと山の上に雲のかたまりがぽっかりと浮かんでいた。 | 1945/8/6 | 高田郡本村 | ||
192 | NG400-01 | 学校より東方を望む。広島の空は火災で真っ赤だった。 | 匿名 | 1945/8/6 | 市立第二国民学校 | |
193 | NG400-02 | 缶詰工場跡で缶詰がポーンと爆発して飛び上がり頭上に落ちるのをトタンで避けながら缶詰を拾う人々。 | 匿名 | 1945/8/7 | 舟入町付近 | |
194 | NG400-03 | 全焼した電車。車内の北側寄りには黒こげのマネキン人形のような立ったままの死体があった。 | 匿名 | 1945/8/7 | 日本銀行広島支店前 | |
195 | NG400-04 | クスノキの大木があったが地面から1、2mの黒こげの幹を残して跡形もなくなっていた。 | 匿名 | 国泰寺 | ||
196 | NG400-05 | 電気がついたと思い近寄って見ると電柱の先が炭火のようになって点灯しているように見えたのだった。 | 匿名 | 1945/8/8~8/9 | 袋町国民学校 | |
197 | NG450-01 | 病院に来たものの治療を受けられず途方に暮れる負傷者たち | 匿名 | 1945/8/6 | 広島赤十字病院 | |
198 | NG450-02 | 戸板に乗せられた死体の側で、炊き出しのむすびをもらう。むすびには、黒大豆と間違うほどハエがたかっていた。 | 匿名 | 1945/8/6、8/7 | 広島市信用組合本部前 | |
199 | NG454-02 | 死者を火葬する兵隊、瓦の上に性別・年齢を書き遺骨を乗せる。 | 匿名 | 1945/8/7 | 舟入町観音橋のたもと | |
200 | NG296 | 強烈な閃光につつまれ、木造2階建ての校舎は倒壊した。夕方市内は焦土になっていた。 | 南 昭三(ミナミ ショウゾウ) | 1945/8/6 | 比治山下、広島工業専門学校 |