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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1381 NG470-03 やけどを負った死直前の兵士。薬もなく手当てもできず水を欲しがり苦しみぬいて死んでいった。 篠山 益治(ササヤマ エキジ) 新庄高射砲陣地の兵舎
1382 NG471-01 突然ピカッと光り、われるような音が耳をつんざき、きのこのような異様な形の雲が空に舞い上がった。 高安 豊司(タカヤス トヨシ) 1945/8/6 川内から緑井の間あたり
1383 NG471-02 全身やけどで川岸で重なり合って死んでいる人、助けを求める人 高安 豊司(タカヤス トヨシ) 1945/8/6 祇園町、安川の川土手
1384 NG471-03 死んだと思っていた父が遠くからパンクした自転車を引きながら帰って来た。 高安 豊司(タカヤス トヨシ) 1945/8/6 川内の自宅近く
1385 NG471-04 家の下敷きになり火災が迫まる中、蚊帳を歯で食いちぎって中にいる子どもを助けだす。 高安 豊司(タカヤス トヨシ) 1945/8/6 観音本町の自宅(と思われる)
1386 NG471-05 火災に囲まれ、子供を抱いて川の中に飛び込む。流れて来た大きなたらいをかぶって熱さをしのぐ 高安 豊司(タカヤス トヨシ) 1945/8/6 福島川(と思われる)
1387 NG471-06 負傷した兵隊の看護に婦人会の女性があたる。顔も唇もはれあがり焼けただれた傷口にはウジがわいた。 高安 豊司(タカヤス トヨシ) 亀山の救護所
1388 NG472-01 燃料会館(元大正屋呉服店) 右近 明敏(ウコン アキトシ) 1945/8/7 中島本町
1389 NG472-02 道端に横たわる黒い死体と瓦れきの街 右近 明敏(ウコン アキトシ) 1945/8/7 中島本町
1390 NG473-01 瓦礫の山となった市内、ところどころに上がっていた白煙、負傷した夢遊病者のようにさまよう女性 山形 明(ヤマガタ アキラ) 1945/8/7 広島駅から南西を望む
1391 NG473-02 脱線・転覆した列車、水を求めて川辺に集まった人々、橋の上で助けを求める軍人 山形 明(ヤマガタ アキラ) 1945/8/7 常葉橋付近
1392 NG474 モクモクと広がるきのこ雲。ピンク、銀色、青色に変化し、雲のふちが舞い降りてくるように思えた。 指田 勢郎(サシダ セイロウ) 1945/8/6 東練兵場
1393 NG475 電車軌道上の仮設の救護所に収容された人々。水も食料も医薬品もなく悲惨な状態だった。 鈴木 半三(スズキ ハンゾウ)
1394 NG476 呉海軍工廠から見た原爆のせん光 中野 貞治(ナカノ サダハル) 1945/8/6 呉海軍工廠
1395 NG477-01 くずれた兵舎の下敷きとなった兵士の声が火勢に消えて行く。 山本 チエノ(ヤマモト チエノ) 1945/8/6 戸坂より陸軍病院跡に入る途中(基町と思われる)
1396 NG477-02 やけどで顔がはれ上がった負傷者たち。ハエが群がり、ウジがわき、水を求めながら亡くなった。 山本 チエノ(ヤマモト チエノ) 1945/8/8から約2週間 広島陸軍病院大芝分院、三入分院
1397 NG477-03 郊外に避難する負傷者、衣服はボロボロで、両腕は皮膚が肉から離れ、手袋をぶら下げているようだった。 山本 チエノ(ヤマモト チエノ) 1945/8/6 三篠川の土手
1398 NG478-01 真っ黒にこげた死体が横たわり炎の中からは助けを求める声が聞こえた。 辻口 清吉(ツジグチ セイキチ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部(暁部隊)から西練兵場に向かう途中
1399 NG478-02 全身やけどで目の見えない6歳くらいの男の子。両親や兄弟のことを一晩中語りあかし亡くなった。 辻口 清吉(ツジグチ セイキチ) 1945/8/6 憲兵隊の住宅の地下室(基町と思われる)
1400 NG478-03 やけどした兵隊。帽子を境に顔・首・手は焼けただれ手の皮は垂れ下がっていた。 辻口 清吉(ツジグチ セイキチ) 1945/8/6 西練兵場

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