トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1407 件検索されました。
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検索結果の表示件数
| No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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NG433-03 | 赤ん坊を抱いた母親の真っ黒焦げの死体があった。赤ん坊の頭をそっとなでると灰になった。 | 田邉 俊三郎(タナベ シュンザブロウ) | 1945/8/7 | 南大橋付近 |
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NG433-04 | 市内の道路という道路は死体がいっぱいで通れない。兵隊さんがトビ口で死体を集めて並べていた。 | 田邉 俊三郎(タナベ シュンザブロウ) | 1945/8/8 | |
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NG433-05 | 船のへさきの所に白くなった少年の死体が立ち泳ぎしているかのように漂っていた。 | 田邉 俊三郎(タナベ シュンザブロウ) | 1945/8/9 | 瀬戸内海 |
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NG434-01 | 広島方向に落下傘が3個見え、にぶい音がして溶接時のような光とともに煙の柱が立ちきのこ状になった。 | 山本 修(ヤマモト オサム) | 1945/8/6 | 焼山通信基地 |
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NG434-02 | 人々の目には、ウジがわき悪臭がした。頭髪はなく顔はただれ腕は火ぶくれ状態であった。 | 山本 修(ヤマモト オサム) | 1945/8/10くらい | 学校か公会堂の救護所 |
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NG435 | 私の見た原爆。2つの落下傘。 | 丸山 克巳(マルヤマ カツミ) | 1945/8/6 | |
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NG436-01 | 女子学生たちは青竹で作った竹槍で国を守り自分を守る訓練をしていた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1942頃 | 広島女子商業学校校庭 |
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NG436-02 | 広島女子商業学校1、2年生約500人と教職員が建物疎開の後片付けをしていた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 鶴見町 |
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NG436-03 | 防空頭巾をつけたまま空のB29爆撃機を見ているところで原爆の熱線を直接に浴びた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 鶴見町 |
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NG436-04 | 建物疎開作業中に被爆した学徒たち。閃光に続いて爆風に襲われた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 鶴見町 |
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NG436-05 | 爆風が通過した後しばらくして崩壊した街の中から黒い煙の筋が幾本も立ちのぼった。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 鶴見町 |
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NG436-06 | 橋のたもとには被爆した多くの中学校、女学校の低学年の生徒が集まっていた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 鶴見橋辺り |
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NG436-07 | 多聞院正面の入口につながる登り口にはたくさんの負傷者が力尽きて座っていた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 鶴見橋東詰から比治山西北方面の電車通り |
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NG436-08 | 火災は拡大し火事嵐が吹き始めた。私たちがこの辺りに来たときはすでに倒れた家から火が出ていた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 旧松川町メイン通り付近 |
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NG436-09 | 友人の道子さんを励ましながら逃げてきたが、道子さんは動けなくなって座り込んでしまった。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 金屋町 |
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NG436-10 | この辺りは焼失は免れたが、破壊は大きく道路には、棚、柱、家庭用品などが所せましと散乱していた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 段原新町、段原中町 |
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NG436-11 | ようやく母校にたどりつく。ほとんどの校舎は倒れていて屋内体操場と白鳩記念館がかろうじて立っていた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 広島女子商業学校 |
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NG436-12 | 立ち上がることができず座り込んでいると幸いにも知り合いのおばさんが私を見つけてくれた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 大河国民学校前 |
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NG436-13 | 住み家を失った被災者が山の中腹にあった防空ごう近くのやぶの中に住んでいた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6~8/15 | 仁保町大河平台 |
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NG437 | 川には真っ赤な死体が流れていた。相生橋まで行くと山積みした死体に油をかけて火葬していた。 | 天満 サダコ(テンマ サダコ) | 1945/8/8 | 横川橋~相生橋~広島港 |