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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1261 NG420 負傷者を乗せた馬車が家の前の道を大朝方面に向かって行く光景をその夏何度も目にした。 佐藤 教(サトウ オシエ) 山県郡川迫村上川戸の自宅前
1262 NG421-01 三滝の竹やぶに逃げる。近所の方に炊き出しで助けていただいた。兵隊さんが毛布で屋根を作ってくれた。 中本 秀子(ナカモト ヨシコ) 1945/8/6 三滝の竹やぶ
1263 NG421-02 外が真っ白く光り音が止み辺りを見ると屋根は吹きとんで無かった。父はタンスの下で意識がなかった。 中本 秀子(ナカモト ヨシコ) 1945/8/6 横川町三丁目の自宅
1264 NG422 校舎の中は負傷者であふれ治療待ちの行列が延々と続いた。半死半生の人々が横たわり足の踏み場もなかった。 杉﨑 友昭(スギサキ トモアキ) 1945/8/6 己斐国民学校
1265 NG423 多数の負傷者が橋の両側で泣き叫んでいた。 造力 晋(ゾウリキ ススム) 1945/8/6 比治山橋東詰
1266 NG424 橋の上は歩道も路面電車の軌道上も負傷者でいっぱいで、真中に人が通れるほどのはばが空けてあった。 別所 幸恵(ベッショ サチエ) 1945/8/6 御幸橋
1267 NG425 電車通りにトタン屋根で作られた応急の救護所。顔も体も赤黒く皆同じように見えた。 山中 雅夫(ヤマナカ マサオ) 1945/8/10 土橋から江波に向かう電車通り
1268 NG426-01 倒れた軍馬と息絶え絶えで水を求めている兵隊を見る。 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) 1945/8/9 牛田町
1269 NG426-02 防火用水槽の死体。新しい服装でたぶん警防団のひとだと思う。体がふくらんで皆下を向いて死んでいた。 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) 1945/8/9 白神社境内
1270 NG426-03 古いキャンパス地のテントのようなものが校庭にたくさん立っていた。 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) 県立広島第一高等女学校校庭
1271 NG426-04 木にすがってすわり親にウジをとってもらっていた。 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) 1945/8/9 己斐国民学校
1272 NG426-05 「先生、足を切ってください」と頼む姉妹がいた。ムシロをはぐって見ると2人とも焼けただれていた。 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) 1945/8/9 己斐国民学校校舎内
1273 NG427-01 避難場所に指定されていた祇園の青年学校を目指して逃げる。皆焼けただれ目玉が飛び出ている女性もいた。 櫻井 賢三(サクライ ケンソウ) 1945/8/6 楠木町通り
1274 NG427-02 ほとんど裸で皮膚がたれさがった手を前に出して楠木町通りを逃げていく人々。 櫻井 賢三(サクライ ケンソウ) 1945/8/6 楠木町通り
1275 NG428-01 泣きながら八丁堀方面に向かう男の子。一緒に逃げようと手を引いて誘ったがそのまま行ってしまった。 杉本 知佐子(スギモト チサコ) 1945/8/6 幟町
1276 NG428-02 何とかつぶれた家から抜け出すと松の木に火の気もないのに火がついて燃え出していた。 杉本 知佐子(スギモト チサコ) 1945/8/6 幟町の自宅
1277 NG429 放送局玄関の斜め左道路の中央南に向かって黒いものがあった。幼児を左腕に抱えた母親の死体だった。 北村 弘(キタムラ ヒロシ) 1945/8/7 広島中央放送局前
1278 NG430 海のかなたに白い光が光りその中に大きな帆船が浮かび上がった。 福岡 光(フクオカ ヒカル) 1945/8/6 愛媛県伊予郡郡中町
1279 NG431-01 廊下に山のように積まれた死体。校庭の木の近くに横たわっている人に近づくとピクッと動いた。 朝信 澄子(アサノブ スミコ) 1945/8/10 己斐国民学校
1280 NG431-02 路面電車のレール軌道内に横になっていた人たち。老若、男女、生き死にもわからなかった。 朝信 澄子(アサノブ スミコ) 1945/8/10 舟入の電車通り

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