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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1407 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1241 NG413-02 川は死体でいっぱいだった。母親の背中で赤ん坊が「オギャアオギャア」と泣いていた。 池本 ヨシ子(イケモト ヨシコ) 1945/8/6 明治橋と南大橋の間の元安川沿い
1242 NG413-03 路面電車や道路には人や牛の死体が横たわっていた。呉から来たトラックが乾パンを配っていた。 池本 ヨシ子(イケモト ヨシコ) 1945/8/6 御幸橋~鷹野橋
1243 NG413-04 兵隊さんが重傷者を集め船で似島に運んでいた。亡くなった人は焼け跡で火葬していた 池本 ヨシ子(イケモト ヨシコ) 1945/8/6 明治橋近く
1244 NG414-01 突然パーッと明るくなる。思わずその方向を見ると海の向こうでギザギザの光が2~3秒光った。 大澤 タカオ(オオサワ タカオ) 1945/8/6 安芸郡坂村
1245 NG414-02 大きな煙のかたまりがぐわっとわき上がり赤い色のまじった煙は大きなドーナツ状となった。 大澤 タカオ(オオサワ タカオ) 1945/8/6 安芸郡坂村
1246 NG414-03 ドーナツ状の煙から別の煙のかたまりが上空に飛び出しその煙は黒味をおびて次第に広がっていった。 大澤 タカオ(オオサワ タカオ) 1945/8/6 安芸郡坂村
1247 NG414-04 トラックには10人くらいの人が乗っていたが、皆すすけたように黒ずんで見えた。 大澤 タカオ(オオサワ タカオ) 1945/8/6 小屋浦
1248 NG415-01 建物疎開作業をしていた動員学徒たち。爆風に飛ばされ熱線でやけどし本川に向かって逃げた。 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/6 本川付近
1249 NG415-02 病院は全壊し歩く道もなかった。負傷した同僚をなんとか安全な場所に誘導しようとした。 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/6 広島第一陸軍病院前
1250 NG415-03 火災に追われ川に降りて川沿いに逃げる人々。川の中には死体が浮かんでいる。 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/6
1251 NG415-04 病院本部に報告することもできず町をさまよった。相生橋の上には路面電車は火災で真っ赤になっていた。 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/6 相生橋
1252 NG415-05 下敷きになった女性が赤ん坊をささげて「どうかこの子を助けてください」と叫んでいた。 高原 良雄(タカハラ ヨシオ) 1945/8/6 広島県産業奨励館
1253 NG416 バラバラと大粒の雨が降りだした。雨は真っ黒な砂まじりで上着や包帯を黒く汚した。 中村 雄子(ナカムラ ユウコ) 1945/8/6 己斐
1254 NG417 被爆2週間後脱毛が始まった。頭に手をやると毛髪がバラバラと落ちた。 佐藤 良生(サトウ ヨシオ) 1945/8/20
1255 NG418 くずれた屋根瓦の上で、おとうちゃん、おかあちゃんがこの下におるんじゃ!と泣き叫ぶ幼い男の子。 小野山 博子(オノヤマ ヒロコ) 1945/8/6 鷹野橋電停付近
1256 NG419 必死に倒壊した家から這い出すと、道路は横川方面に向けて避難している人でいっぱいだった。 松富 光子(マツトミ ミツコ) 1945/8/6 広島別院前
1257 NG420 負傷者を乗せた馬車が家の前の道を大朝方面に向かって行く光景をその夏何度も目にした。 佐藤 教(サトウ オシエ) 山県郡川迫村上川戸の自宅前
1258 NG421-01 三滝の竹やぶに逃げる。近所の方に炊き出しで助けていただいた。兵隊さんが毛布で屋根を作ってくれた。 中本 秀子(ナカモト ヨシコ) 1945/8/6 三滝の竹やぶ
1259 NG421-02 外が真っ白く光り音が止み辺りを見ると屋根は吹きとんで無かった。父はタンスの下で意識がなかった。 中本 秀子(ナカモト ヨシコ) 1945/8/6 横川町三丁目の自宅
1260 NG422 校舎の中は負傷者であふれ治療待ちの行列が延々と続いた。半死半生の人々が横たわり足の踏み場もなかった。 杉﨑 友昭(スギサキ トモアキ) 1945/8/6 己斐国民学校

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