トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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321 | NG088-12 | 防空ごうの中に避難しそのまま死んだ人。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/9 | 広島市内 | |
322 | NG088-13 | 川を流れる死体。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/7 | 広島市内 | |
323 | NG088-14 | 広場に並べられた死体の中から身内を捜す人々。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/9 | 広島市内 | |
324 | NG088-15 | 黒焦げになって死んだ軍馬。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/9 | ||
325 | NG088-16 | 整列して無条件降伏を知らされる兵隊。その後方に集まって泣く女性たち。 | 内藤 博巳(ナイトウ ヒロミ) | 1945/8/15 | 広島陸軍兵器補給廠 | |
326 | NG089 | 芸備線の汽車で家に向かう負傷者たち。多くの人が到着までに亡くなった。 | 小田 貞枝(オダ サダエ) | 1945/8/6~8/8 | 矢賀から庄原方面に向かう芸備線の汽車の中 | |
327 | NG090 | 家の下敷きから抜け出し赤ん坊を抱いて逃げる。途中黒い雨に会い夜やっと指定避難場所の学校にたどりつく。 | 1945/8/6 | 東観音町、福島川川岸、草津国民学校 | ||
328 | NG091-01 | 元安川からは「助けてくれ」という悲鳴が聞こえた。大きな防火用水槽では5,6人が重なって死んでいた。 | 山崎 寛治(ヤマサキ カンジ) | 1945/8/7 | 天神町 | |
329 | NG091-02 | 兵隊が防火用水槽の中の死体や散乱している死体を集め枕木を積み重ねて重油をかけて火葬した。 | 山崎 寛治(ヤマサキ カンジ) | 1945/8/8 | 現在の平和記念公園 | |
330 | NG092 | 立ったまま死んでいる馬。手綱を持った馬車引きのおじさんも膝を組んで座ったまま死んでいた。 | 西村 成隆(ニシムラ ナリタカ) | 寺町 | ||
331 | NG093 | 死亡した幼児を抱いている女性。話しかけるが、もう目も見えず耳も聞こえないようだった。 | 上岡 千吉(ウエオカ センキチ) | 1945/8/6 | 広島市公会堂庭園の池のそば | |
332 | NG094-01 | 飛行機を見つけた瞬間、何か地上で一瞬光った。5、6秒後ブォーンという音が聞こえ爆風で1m程飛ばされた。 | 津村 明正(ツムラ アキマサ) | 1945/8/6 | 牛田町 | |
333 | NG094-02 | 戸坂へ続く県道に出て負傷者を見る。子どもを連れた母親。よろけながら座りこみ動けなくなった兵隊さん。 | 津村 明正(ツムラ アキマサ) | 1945/8/6 | 牛田町 | |
334 | NG094-03 | 避難する負傷者、母子、長寿園付近の死体、脱線した貨車、馬の死体、市内で肉親を捜す人々。 | 津村 明正(ツムラ アキマサ) | 1945/8/6~8/8 | 牛田町、基町、工兵橋~長寿園、相生橋、大須賀町 | |
335 | NG095-01 | 広島駅前にあった骨組みだけになった車を担架の代わりにして、犠牲者を乗せ火葬場に運び出す。 | 清水 善郎(シミズ ヨシロウ) | 広島駅前 | ||
336 | NG095-02 | 線路の枕木を100本余り組みその上に犠牲者を寝かせ、下に重油を入れて火葬にする。 | 清水 善郎(シミズ ヨシロウ) | 広島駅前 | ||
337 | NG096-01 | 隣のご主人が顔も足も赤茶色に腫れ上がり、見えない目でよろめきながら帰ってきた。 | 金行 清香(カネユキ キヨカ) | 1945/8/6 | 仁保町 | |
338 | NG096-02 | 建物疎開作業に出ていた隣の奥さんが戻ってきた。赤ん坊は背中で死んでいた。奥さんもまもなく亡くなった。 | 金行 清香(カネユキ キヨカ) | 1945/8/6 | 仁保町 | |
339 | NG096-03 | 焼け跡で姉の夫と再会する。外見は無傷だったが、髪は真っ白になり頬はげっそりと痩せていた。 | 金行 清香(カネユキ キヨカ) | 1945/8/8 | 上流川町 | |
340 | NG097-01 | 芸備線で避難してきた被災者たちを三次国民学校講堂へ収容し看護に当たる。 | 村中 淑子(ムラナカ トシコ) | 1945/8/6 | 三次国民学校 |