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トップページ原爆の絵種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)"

原爆の絵

種別 "市民が描いた原爆の絵(平成14年収集)" で 1411 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
241 NG066 負傷者はみな帽子をかぶっていた部分だけ残して髪の毛は焼けていた。焼けただれた肌にはウジがわいた。 古本 徳夫(フルモト トクオ) 三入国民学校
242 NG067-01 警戒警報のサイレンが鳴り、空を見るとB29から3個の落下傘が降ろされた。 小林 豊(コバヤシ ユタカ) 1945/8/6 大州橋付近
243 NG067-02 私たちが大洲橋の上に来た時、B29が広島市中心上空に達し旋回した瞬間閃光が走った。 小林 豊(コバヤシ ユタカ) 1945/8/6 大州橋
244 NG067-03 快晴で炎天下の広島に桃色の矢のような光が八方に走った。頭の上に熱気を感じ耳を両手で押さえてふせた。 小林 豊(コバヤシ ユタカ) 1945/8/6 大州橋
245 NG067-04 すさまじい爆風が去って立ち上がると地上数十mのところに巨大なドーナツ型の炎の輪があった。 小林 豊(コバヤシ ユタカ) 1945/8/6 大州橋
246 NG067-05 ドーナツ型の輪が上空で燃えていた。 小林 豊(コバヤシ ユタカ) 1945/8/6 大州橋
247 NG067-06 ドーナツ型の火の輪は燃えながらしだいに高く上がって煙りに包まれキノコの形となってきた。 小林 豊(コバヤシ ユタカ) 1945/8/6 大州橋
248 NG067-07 工場が休みのため友人6人で向洋の寮を出て広島に向かう。バスが満員で3人しか乗れなかった。 小林 豊(コバヤシ ユタカ) 1945/8/6 大州橋
249 NG067-09 すでに死亡して紫色に変色した母親の乳房を吸う赤ん坊。 小林 豊(コバヤシ ユタカ) 1945/8/7 東練兵場
250 NG067-10 死体を収容する人たち 小林 豊(コバヤシ ユタカ) 1945/8/7 広島駅付近路上
251 NG067-11 焼け野原になった広島に友人を捜しに行く。道の中央を歩こうと思っても熱気で通ることができない。 小林 豊(コバヤシ ユタカ) 1945/8/7 市内中心部
252 NG067-12 死者をトラックに乗せて運び、海田市の土手で油をかけて火葬した。 小林 豊(コバヤシ ユタカ) 1945/8/8 海田市の土手
253 NG067-13 土手で死者を火葬する 小林 豊(コバヤシ ユタカ) 1945/8/8 海田市の土手
254 NG067-14 寮で手当をしていたが亡くなった人を火葬するために担架にのせて裏山に運ぶ。 小林 豊(コバヤシ ユタカ) 1945/8/9 日本製鋼所向洋工場の寮
255 NG067-15 寮に収容して亡くなった人たちを裏山に運び、穴を掘り火葬する。 小林 豊(コバヤシ ユタカ) 1945/8/9 日本製鋼所向洋工場の寮
256 NG068 亡くなった我が子を抱きしめている放心状態の母親。やけどのため顔がはれ目がほとんど見えない男の子。 柴田 フミ子(シバタ フミコ) 1945/8/6 平塚町
257 NG069-01 原爆投下の瞬間 田島 武雄(タジマ タケオ) 1945/8/6 市内
258 NG069-02 駅前にたくさんの負傷者がいた。男女の区別もつかず髪はちぢれて肌に食い込んだ着物の布で女の人とわかった 田島 武雄(タジマ タケオ) 1945/8/9 矢賀駅
259 NG069-03 入隊のため矢賀駅から市内に向かう。電車線路の枕木の上を歩いて川を渡り八丁堀方面に入った。 田島 武雄(タジマ タケオ) 1945/8/10 稲荷町電車専用橋
260 NG069-04 電柱がまだくすぶり続け煙りが出ていた。がれきの山、盛り上がった所などが熱っぽく感じた。 田島 武雄(タジマ タケオ) 1945/8/10

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