menu

トップページ原爆の絵キーワード "遺骨"

原爆の絵

キーワード "遺骨" で 61 件検索されました。

一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。

次へ

検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1 GE02-10 叔母一家の焼け跡、家族の骨を探す人 藤田 弥生(フジタ ヤヨイ) 1945/8/8 大手町四丁目
2 GE03-24 残り火がくすぶる中、焼け跡に散乱した白骨 三戸 秀三郎(ミト ヒデサブロウ) 1945/8/7 紙屋町
3 GE04-48 ウジが発生してくるので蚊帳を日中吊して看護する、枕元には肉親の骨箱がおいてある 田中 武彦(タナカ タケヒコ) 1945/8/12、8/13頃 船越町の被爆者収容所
4 GE05-48 道端に骨を拾う家族もないのか長い間道行く人を眺めていた白骨 辻岡 孝子(ツジオカ タカコ) 1945/9/中旬 十日市町
5 GE06-11 砂利のように積んである人骨の中に家族の骨を捜す 木村 貞子(キムラ サダコ) 1945/8/20 新大橋西詰
6 GE06-26 焼け跡の鉄柱の下の人骨、馬の骨 萩原 貞子(ハギワラ サダコ) 被爆3ヶ月位後(1945/12/初旬) 堺町付近
7 GE06-35 沢山の収容者の名簿をさがし、名前不明県立広島第二中学校一年生の骨を子供と思い骨をもらう 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) 1945/9/15 広島市役所
8 GE07-27 収容した死体を焼残りの木材で焼き、瓦の上に並べる 松永 虎槌(マツナガ トラヅチ) 1945/8/11 寺町付近
9 GE07-38 生き残り町民で遺骨を拾い集め無縁墓地に奉納する 小笠原 春子(オガサワラ ハルコ) 1946/初夏 河原町、土橋
10 GE09-26 6人の子供の白骨とホームに置いた醤油と蛤 上田 静人(ウエダ シズト) 1945/8/8 横川駅
11 GE11-11 傷が化膿し、ウジの出てきた母とすがる子供。あたりには大量のハエが飛んでいる 市田 融慈(イチダ ユウジ) 1945/8/17 三川町
12 GE11-36 遺骨を受取る遺族 田中 儀作(タナカ ギサク) 1945/8/30 府中国民学校
13 GE17-13 気の狂った母親が幼児の死体をバケツに詰め込んでいる 白石 千津子(シライシ チズコ) 1945/8/7
14 GE19-15 伝福寺本堂の焼け跡とクスノキの大木、兵隊が一人橋の上で死体を引き上げている 杉本 仙(スギモト セン) 1945/8/8 伝福寺、新大橋
15 GE26-21 頭だけ梁の下敷になった妹を助けられなかった 打越 嘉子(ウチコシ ヨシコ) 1945/8/6 平野町
16 GE26-46 叔母夫婦はカン詰の中で遺骨となっていた、近所の人が世話をしてくれた 田中 岩夫(タナカ イワオ) 1945/10/19 天満町
17 GE27-43 福島川周辺で火葬されトタン板に並べられた遺骨が竜巻で一瞬のうちに舞い上がる 木原 道子(キハラ ミチコ) 1945/8/20過ぎ 西天満町(現天満町 岩崎ビルの敷地)
18 GE29-16 肉親を捜し疲れて中国新聞社前の死亡者名簿に見入る人々 落合 フミコ(オチアイ フミコ) 1945/8/14 中国新聞社前
19 GE31-31 あちらこちらに残る遺骨 小笠原 春子(オガサワラ ハルコ) 1946/1/ 西新町
20 GE33-28 火葬される死体と遺骨の山 前田 正一(マエダ マサカズ) 1945/8/13

次へ

Page Top