menu

トップページ原爆の絵キーワード "救護所、病院、収容所、避難所"

原爆の絵

キーワード "救護所、病院、収容所、避難所" で 365 件検索されました。

一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。

次へ

検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1 GE01-09 親族の安否を訪ねる途中電車通で見た救護所の様子 花岡 フサコ(ハナオカ フサコ) 1945/8/10 舟入幸町
2 GE01-23 収容されたたくさんの負傷者たち、棧橋に着いた死者を山陰に運ぶ様子 石風呂 政子(イシフロ マサコ) 1945/8/7 似島検疫所
3 GE01-44 広島陸軍被服支廠での救護の状況 草田 隆夫(クサダ タカオ) 1945/8/6 広島陸軍被服支廠
4 GE02-09 収容された学徒たちを看護する様子、無傷なのに次々と死んでいく 升川 貴志栄(マスカワ キシエ) 1945/8/6~8/9 大内越峠旧紫雲館の広場、軍隊の第一収容所
5 GE02-16 救護所の様子、皮膚がぶらさがった学徒達 大田 晴代(オオタ ハルヨ) 1945/8/6 比治山下の救護所
6 GE02-20 トタン屋根の下に仮収容され水を求める被爆者 武田 一美(タケタ カズミ) 1945/8/7 横川橋
7 GE02-26 電車道線路を枕に何百人と並べられた被災者、足元のカワラに住所と名前を書く 菊田 良三(キクタ リョウゾウ) 1945/8/7 舟入川口町電車通り
8 GE02-48 火傷を負い炎天下の中、ウジを体内から湧かせて柱にもたれている男性 小笠原 春子(オガサワラ ハルコ) 1945/8/10 佐伯郡五日市町楽々園応救所
9 GE03-07 国民学校での負傷者の看護 平川 壽子(ヒラカワ トシコ) 1945/8/18か、8/19頃 草津国民学校
10 GE03-19 治療を待つ中次々と倒れる負傷者たち 佐藤 健美(サトウ タケミ) 1945/8/6 草津国民学校救護室
11 GE03-22 己斐国民学校の廊下で死んでいた人達、傘棚にもたれ立ったまま死んでいる少年 石川 文恵(イシカワ フミエ) 1945/8/7 己斐国民学校
12 GE03-38 温品小に収容され教室に横たわる被爆者達、窓からは火の海となった広島が見える 竹田 初枝(タケダ ハツエ) 1945/8/6 温品国民学校
13 GE03-49 「お母ちゃん」と叫んで息を引きとった女の子 小早川 泰造(コバヤカワ タイゾウ) 1945/8/7 日本製鋼所広島製作所寮
14 GE04-10 負傷して戸板に寝かされた人たち 金行 清香(カネユキ キヨカ) 1945/8/8 日本勧業銀行広島支店
15 GE04-34 似の島検疫所に収容された被災者の救護にあたり、死者を焼く 後藤 利文(ゴトウ トシフミ) 1945/8/7 似島検疫所
16 GE04-41 袋町国民学校に収容された人々の様子 煙石(土井)二三枝(エンセキ(ドイ) フミエ) 1945/8/末頃 袋町国民学校
17 GE04-48 ウジが発生してくるので蚊帳を日中吊して看護する、枕元には肉親の骨箱がおいてある 田中 武彦(タナカ タケヒコ) 1945/8/12、8/13頃 船越町の被爆者収容所
18 GE04-49 電車レールの上にねかされた負傷者に数万匹のハエがおそいかかる 徳本 トシミ(トクモト トシミ) 1945/8/8 江波線の電車通り
19 GE04-50 火傷を負った韓国人の老人が牛車で運ばれ村の医院に治療を待っている 今田 進(イマダ ススム) 1945/8/7頃 佐伯郡友和村河津原 柴田医院前
20 GE05-09 被爆者収容所で父母の名を叫びながら息たえだえの学徒達 有木 絢子(アリキ アヤコ) 1945/8/11 舟入

次へ

Page Top