menu

トップページ原爆の絵キーワード "復興"

原爆の絵

キーワード "復興" で 23 件検索されました。

一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。

次へ

検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1 GE03-34 原爆投下より約40日後青い植物の新芽が出る。 三浦 篤夫(ミウラ アツオ) 1945/9/中旬 広島市役所と公会堂の間
2 GE11-09 傷だらけの身体で子供を探して歩き続け、発熱し、郷里に帰ることにした 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) 1945/8/10 横川駅
3 GE11-31 原子砂爆に灯がともる 田中 儀作(タナカ ギサク) 1945/9/10 比治山山頂
4 GE19-21 焼け跡に家屋が建ち始め、学校は青空教室で再開された 神田 イツコ(カンダ イツコ) 1945/夏の終わり頃
5 GE30-35 横倒しになった馬、座ったまま死んでいた人 鉄村 京子(テツムラ キョウコ) 1945/8/7 相生橋付近
6 GE32-45 よみがえった広島 市場 京子(イチバ キョウコ) 平和記念公園
7 GE34-43 復員してみた広島駅前の状景 戸野 玉夫(トノ タマオ) 1946/5/25 広島駅頭
8 NG062-07 焼け跡を整理していてがれきの下に小さなナスの花を見つける。希望を与えてくれたが一夜で枯れてしまった。 大場 孝子(オオバ タカコ)
9 NG072-03 天神町通りから元安橋にまがる角の三叉路上に北北西に向かって大人が四つ這いになり硬直して死亡していた。 壷井 進(ツボイ ススム) 1945/8/7 燃料会館前
10 NG134-14 学校再開の知らせがあるが、寝たきりだったので筋肉が萎縮してしまい歩けない。懸命にリハビリを続ける。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/10 己斐町
11 NG134-15 己斐国民学校の授業再開。うれしかった。しかし運動場の焼き場跡にはたくさんの人骨がいつまでも見られた。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/9/18 己斐国民学校
12 NG156 昭和21年頃の千田国民学校の講堂の残骸。青空の下で石やがれきに腰かけて先生の話を聞いた。 吉田 誠(ヨシダ マコト) 1946 千田国民学校
13 NG183-38 奇跡的に助かったおかあさんは、退院し無事に赤ちゃんを産んだ。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 比婆郡山内西村の自宅
14 NG183-39 原爆の時のことを思い出し亡くなった人のご冥福と無事に生きられた人の幸福を祈る。 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ) 原爆ドーム
15 NG183-41 「いまの幸せを大切にしたい」 山口 昭治(ヤマグチ ショウジ)
16 NG293-02 被爆の翌年の早春、がれきの下から緑が萌えているのを見た。熱いものがこみ上げ涙があふれてきた。 松島 道枝(マツシマ ミチエ) 1946/早春
17 NG354-06 被爆の3日後、己斐から西天満町間で初めて路面電車が動く。復旧一番電車で車掌として乗務した。 堀本 春野(ホリモト ハルノ) 1945/8/9 己斐から西天満町までの路面電車の中
18 NG358-10 鉄橋がこわれたため天満川ははしけ舟で人々を運び路面電車と連絡した。そこには闇市ができにぎわった。 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) 天満町電車専用橋
19 NG472-01 燃料会館(元大正屋呉服店) 右近 明敏(ウコン アキトシ) 1945/8/7 中島本町
20 SG-0036 燃料会館 小尻 勉(コジリ ツトム) 燃料会館

次へ

Page Top