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原爆の絵

キーワード "広島中央放送局(日本放送協会中国支部上流川演奏所、福屋幟町別館)" で 14 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1 GE01-16 子供を身体の下にかばい蒸焼きになった母親 佐々 和英(ササ カズヒデ) 1945/8/7 広島中央放送局前
2 GE12-40 黒焦げになった母子 井野上 忠夫(イノウエ タダオ) 1945/8/6 広島中央放送局前
3 GE13-26 男女の区別もつかない黒焦げの親子の死体 谷本 初登(タニモト ハツト) 1945/8/7 広島中央放送局付近
4 GE15-05 水槽の中に折り重った死体 赤ちゃんを抱いた婦人の黒こげの死体 山縣 康子(ヤマガタ ヤスコ) 1945/8/7 広島中央放送局前の路上
5 GE15-48 赤ちゃんを胸の下にかばい死んだ母親の真黒な死体 田口 光子(タグチ ミツコ) 1945/8/7 広島中央放送局前
6 GE34-45 ラジオから聞こえてきた悲痛な声 前 カズノ(マエ カズノ) 1945/8/6 佐伯郡五日市町楽々園海老橋近くの自宅
7 NG110-01-01 自宅近くの路上で見た焼死した母子。母親と妹ではないかと感じたが、確認せずにその場を離れた。 安原 義治(ヤスハラ ヨシハル) 1945/8/7 広島中央放送局付近
8 NG110-01-02 自宅近くの路上で見た焼死した母子。母親と妹ではないかと感じたが、確認せずにその場を離れた。 安原 義治(ヤスハラ ヨシハル) 1945/8/7 広島放送局付近
9 NG229 焼け跡で家の下敷きになり焼け死んだ母と姉の遺骨を拾う。放送局の前には黒焦げの母子の死体があった。 波多野 ヤエ子(ハタノ ヤエコ) 1945/8/7 広島中央放送局前
10 NG281 瓦礫の下敷きになった人。ところどころで火柱があがっている。抜け出た人はほとんど頭から血だらけだった。 山田 昭雄(ヤマダ アキオ) 1945/8/6 幟町の自宅
11 NG429 放送局玄関の斜め左道路の中央南に向かって黒いものがあった。幼児を左腕に抱えた母親の死体だった。 北村 弘(キタムラ ヒロシ) 1945/8/7 広島中央放送局前
12 NG443 子どもを守るような姿勢のまま黒焦げになった母子 植田 貢(ウエダ ミツグ) 1945/8/7 上流川町の広島中央放送局前の道路
13 NG451 放送局前でラジオを抱え待っていた人たちのやけどした真っ赤な顔 和久野 幸子(ワクノ サチコ) 1945/8/6 広島中央放送局前
14 WH01-026 広島中央放送局 上西 薫(カミニシ カオル) 昭和8年 広島中央放送局
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