識別コード | SG-0572 |
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絵の内容 | 火傷と怪我の治療 3怪我の治療 |
作者名(カナ) | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) |
作者名(英語) | Seigo Nishioka |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 西岡 誠吾 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/6(時刻)AM10:00頃 |
情景場所 | 元安川土手 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | *別紙 火傷と怪我の治療 3怪我の治療 「あの日」10時ごろ、元安川の土手に座って崩壊した学校を眺めながら不安な気持ちでいました。 すると、知らないおじさんが私の傍らにやってきて、左足の出血を見て「靴と靴下を脱げ」と言われ、傷口を見ると素早く両手で川土手の「よもぎ」をむしり取り、野球のボール位の量を両手で揉みながら「こうして揉んどけ」と言いました。 言われる通りに「よもぎ」を揉んでいました。おじさんは走って近くの家の中に入り、2階の押し入れの布団を引っ張り出し、布団シーツを切り裂き2本の包帯を作って私の所に来ました。爆風で家の戸、窓、襖などは吹き飛ばされて家の中は丸見えの状態でした。 おじさんは、「よもぎ」の塊を足の傷口に押し込んで包帯を巻き、もう1本の包帯で靴を当てて巻きました。 おじさんは「これで血が止まって歩けるぞ、早く逃んと火が迫っとるぞ」と言って走り去りました。お礼を言うのを忘れました。 その夜8時ごろ、避難した広陵中学校(宇品)の教室で恐る恐る足の包帯を解いて傷口を見たら、5㎝位の傷口は血が止まり、白い色でした。骨が見えるようで怖くなって元通り「よもぎ」を押し込んで包帯を巻きました。 あとがき 孫 孫息子が6歳の時「学校の帰りに、友達が転んで足から血が出たので、”よもぎ”を付けたら血が止ったよ」と言いました。おじいちゃんの話をよく聞いてくれたと褒めてやりました。 孫娘が4歳の時「おじいちゃんは、どうして病院へ行かなかったんね」と言いました。その孫娘は、広島市内の高校の美術コースに入学して「原爆の絵」を描きました。「とても良く描けた」と褒めてやりました。 足の傷 70余年を経ても真冬や真夏には針を刺すように痛みます。 その度に「あの日」の生き地獄を思い出します。 |
サイズ(cm) | 21×29.7 |
展示の説明文 | 作者 西岡誠吾さん(被爆当時13歳) 県立広島工業学校1年生だった西岡誠吾さんは、学校内で被爆しました。気がついた時には、校舎の下敷きになって身動きが出来ず、どうにか助け出されたものの、顔や手にはやけどを負い、足にも傷を負っていました。 怪我の治療 1945年8月6日午前10時頃 川の土手に座っていると、知らないおじさんが左足の出血を見て、素早く土手の「よもぎ」をむしり取り、野球ボール位の量を両手で揉みながら「こうして揉んどけ」と言いました。言われる通りに「よもぎ」を揉んでいると、おじさんは、近くの家で布団シーツを切り裂き、包帯を作って私のところに来ました。おじさんは、「よもぎ」の塊を足の傷に押し込んで、包帯を巻きました。おじさんは「これで血が止まって歩けるぞ、早く逃げんと火が迫っとるぞ」と言って走り去りました。 |