識別コード | SG-0571 |
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絵の内容 | 火傷と怪我の治療 2火傷の治療 |
作者名(カナ) | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) |
作者名(英語) | Seigo Nishioka |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 西岡 誠吾 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
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作者による説明 | *別紙 火傷と怪我の治療 2火傷の治療 被爆10日後から田舎の伯母の家で静養し、火傷の治療をしてくれました。田舎には外科医も薬局もありません。伯母はピンセットでウジ虫を取り払い、オキシュルを含ませた脱脂綿で血膿を拭き取り、生の「じゃがいも」を大根おろし器で擦りおろしたドロドロの「じゃがいも」を火傷の部分に塗りました。 ドロドロの「じゃがいも」が乾きそうになると、またその上から塗りました。これを繰り返しました。一カ月位して「じゃがいも」汁の塊を恐る恐るとりのぞきました。石膏で作ったお面のような塊でした。 なんと、新しい皮膚が出来ていました。白くて非常に薄い皮膚でした。伯母も私も大喜びでした。その薄くて白い皮膚は手で触るとすぐに破れて出血します。その都度「蜂蜜」を塗って皮膚を張り付けていました。その後、一週間で皮膚は強くなり破れなくなりました。やっと顔を洗うことができました。皮膚は新しく薄いので火傷の痕ははっきりとわかる状態でした。凸凹はありません。火傷の痕は約10年間薄いピンク色でした。その後は正常な皮膚の色になりましたが、風呂上りやお酒を飲んだ時はピンク色になりました。その後、年を重ねるごとに皮ふは丈夫になり火傷の痕は分かりません。 超食糧難時代に伯母は食材の「じゃがいも」を治療に使ったことへの感謝の気持ちと、年寄りの知恵に驚いています。 あとがき 外科医の話 外科医に「じゃがいも」の治療を話す機会がありました。外科医は「火傷の治療は絶対素人治療をしてはいけません。雑菌で命に係わることがあります。「じゃがいも」自身は火傷に対して治療効果はありません。皮膚を乾燥させないように湿気を持たせたからケロイドにならなかっただけです。あなたは雑菌に侵されなかったので、非常にラッキーでした」と言われました。 伯母の献身的な治療に感謝し自慢に思っていましたが、少し複雑な気持ちになりました。 |
サイズ(cm) | 21×29.7 |
展示の説明文 | 作者 西岡誠吾さん(被爆当時13歳) 県立広島工業学校1年生だった西岡誠吾さんは、学校内で被爆しました。気がついた時には、校舎の下敷きになって身動きが出来ず、どうにか助け出されたものの、顔や手にはやけどを負い、足にも傷を負っていました。 やけどの治療 伯母は大切な食糧である「じゃがいも」をすりおろし、やけどの部分に塗りました。「じゃがいも」が乾きそうになると、またその上から塗りました。これを繰り返しました。 1カ月くらいして「じゃがいも」の塊を恐る恐るとりのぞきました。なんと、新しい皮ふが出来ていました。白くて非常に薄い皮ふでした。伯母も私も大喜びでした。 |