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原爆の絵

識別コード SG-0570
絵の内容 火傷と怪我の治療 1被爆
作者名(カナ) 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ)
作者名(英語) Seigo Nishioka
当時の年齢 13歳
寄贈者名 西岡 誠吾
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/6
情景場所
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 *別紙
2019年 西岡誠吾
火傷と怪我の治療 1被爆
被爆前 被爆後
身長149㎝、体重42㎏の小さな中学一年生でした。服は国民学校(現小学校)卒業した時の冬服で、半ズボンは継ぎ足して長ズボンにしました。
靴は国民学校卒業時の運動靴を履いていました。ゲートルを巻き、布製カバンと防空頭巾を肩に掛けて通学していました。
物資の乏しい時代のため、制服や靴の配給がありませんでした。
「あの日」爆心地南2㎞で被爆し、火傷と怪我をして多くの人に助けられました。
顔の左側と左手の甲を火傷し、皮が垂れ下がり、後日ウジ虫が這いつきました。冬服を着ていたので、体の火傷はありませんでした。
左足の親指付近の怪我で血が出ていました。歩くと靴の中に血があふれ「クチャ、クチャ」と音がしました。
爆風で飛ばされ、建物の下敷きになり体中が痛みました。
胸の名札は、墨で書いた字は焼けました。
持ち物は、帽子が爆風で飛ばされて失いましたが、その他は無事でした。

あとがき
ケロイド
被爆後の生き残った中学生や女学生は殆ど顔にケロイドがありました。
ケロイドがないのは、建物疎開作業を休んだか、転校生でした。なお、私の近くで被爆した友人も酷いケロイドが残りました。

中学の制服
平和資料館に焼けた中学生の制服が展示されています。
皆さんはどのように思って観ておられるのかな?
館内はエアコンの影響で季節感がありません。
戦時中は兵隊さんと同じく、戦闘態勢の服装を義務付けられていました。真夏でも上着を着ていました。
今思えば「汗が噴き出る」と思います。戦時中の超食糧難時代は「汗がにじむ」程度でした。

足の傷
70余年を経ても真冬や真夏には針を刺すように痛みます。
その度に「あの日」の生き地獄を思い出します。 
サイズ(cm) 21×29.7
展示の説明文 作者 西岡誠吾さん(被爆当時13歳)
県立広島工業学校1年生だった西岡誠吾さんは、学校内で被爆しました。気がついた時には、校舎の下敷きになって身動きが出来ず、どうにか助け出されたものの、顔や手にはやけどを負い、足にも傷を負っていました。

被爆前 被爆後
身長149㎝、体重42㎏の小さな中学1年生でした。
顔の左側と左手の甲をやけどし、皮が垂れ下がり、後日ウジ虫が這いつきました。左足の親指付近の怪我で血が出ていました。歩くと靴の中に血があふれ「クチャ、クチャ」と音がしました。

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