識別コード | SG-0567 |
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絵の内容 | 「戦後の記憶」 |
作者名(カナ) | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) |
作者名(英語) | Seigo Nishioka |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 西岡 誠吾 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1946年春 |
情景場所 | |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
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作者による説明 | *別紙 西岡誠吾 「戦後の記憶」 被爆後は、長兄と二人で広島市東部の下宿屋に住んで通学していました。1946年(昭和21年)春、長兄(工業専門学校2年生)が友人の下宿へ遊びに行きました。 暫くすると、窓辺に腰かけて「ナチス党」の歌をドイツ語で大声をあげて歌い始めました。運悪く、傍をアメリカ軍のMPと日系アメリカ兵がジープに乗ってゆっくり走行していました。即座に兄と友人はアメリカの護送車に乗せられてどこかへ連れていかれました。 友人の下宿屋の近所の人々は大勢集まり不安な気持ちで見守っていました。両親へ連絡すると腰を抜かさんばかりの驚きと不安な気持ちでした。 学校は嘆願書をアメリカの担当部署へ提出し、兄たち二人は数日後に保釈されました。 「ナチス党の歌は、いつ、誰から教えてもらったか。政治団体に入っているか」などを質問し、反米思想のないことが分かったので保釈されたと言っていました。 戦時中、専門学校のドイツ語の授業で「ナチス党」の歌をドイツ語で習い、その後友人たちと歌っていました。 アメリカ軍の取り調べは紳士的で恐怖感はなく、食事などの待遇が良かったので、長兄は自慢をしていました。両親の心配は理解していませんでした。以上 |
サイズ(cm) | 21×29.7 |
展示の説明文 |