識別コード | SG-0564 |
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絵の内容 | 「女学生の叫び」 |
作者名(カナ) | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) |
作者名(英語) | Seigo Nishioka |
当時の年齢 | 13歳 |
寄贈者名 | 西岡 誠吾 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/9(時刻)夕方 |
情景場所 | 宇品沖 |
情景場所旧町名 | |
情景場所現町名 | |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | *別紙 8月9日の記憶 令和元年盛夏 西岡誠吾 まえがき 私は爆心地南2㎞で被爆して、火傷と怪我をし、多くの人に助けられました。 兵隊さんの献身的な援助を受け、収容所へは担架に担がれ、トラックや船で次の通り移動しました。 8月6日~7日 広陵中学校(宇品) 8月7日~9日 暁部隊(宇品 陸軍船舶隊) 8月9日~15日 横浜国民学校(坂町 横浜小学校) 8月15日~ 親戚宅(尾道市因島原町) この期間で、「8月9日」の記憶について記述します。「あの日」のことは、昨日の事の様に記憶をしていますが、70余年の経過と加齢に伴い、一部記憶の薄れたところもあります。 「3 女学生の叫び」 グラマンが遠くに去っていくと、船内の被爆者はやっと我に返り、安どしていました。 私の左隣に座っていた女学生が私に大きな声で話しかけてきました。 「怪我が治ったらアメリカをやっつけようネ」と言いました。当時は中学生と女学生が話をすることは厳しく禁じられていたので「うん、うん」と返事をするのがやっとでした。 彼女は船のエンジンの音に負けないぐらい大声を出していました。彼女の顔はバレーボールの様に膨らんで、目は糸の様に細くなり、髪の毛は焼けて「ぼうぼう」になっていました。肌の露出部分は全て焼けただれ皮膚が垂れ下がり痛々しい姿でした。 あとがき 「米英撃滅」「鬼畜米英」「一億一心」 「欲しがりません 勝つまでは」などなど、戦意高揚のスローガンに躍らせ、戦争に勝つことを信じ、軍事教育を受けた中学生、女学生でした。 |
サイズ(cm) | 21×29.7 |
展示の説明文 | 作者 西岡誠吾さん(被爆当時13歳) 県立広島工業学校1年生だった西岡誠吾さんは、学校内で被爆しました。気がついた時には、校舎の下敷きになって身動きが出来ず、どうにか助け出されたものの、顔や手にはやけどを負い、足にも傷を負っていました。 女学生の叫び 「グラマン」が遠くに行くと、女学生が「怪我が治ったらアメリカをやっつけようネ」と話しかけてきました。船のエンジンの音に負けないくらいの大声でした。彼女の顔はバレーボールの様に膨らんで、髪の毛は焼け、肌は焼けただれて皮膚が垂れ下がり、痛々しい姿でした。 |