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トップページ原爆の絵行方不明の母、妹、祖母、愛犬

原爆の絵

識別コード SG-0557
絵の内容 行方不明の母、妹、祖母、愛犬
作者名(カナ) 尾崎 稔(オザキ ミノル)
作者名(英語) Minoru Ozaki
当時の年齢 13歳
寄贈者名 尾崎 稔
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時
情景場所
情景場所旧町名
情景場所現町名
爆心地からの距離
ブロック別
作者による説明 *絵中
行方不明者
1 行方不明者と推定被災場所(昭和20年8月6日(月)8時15分)
 1 母 尾崎イツヱ 37才 建物疎開に動員され市役所、横雑魚場町市公会堂へ
 2 妹 尾崎幸子 8才 大手町八丁目 北組(自宅)
 3 祖母 木下マサ 65才 大手町八丁目 北組(自宅)
 愛犬 チロ

2 被災時の想像と家族の想い
 ピカ!!ドン(莫大な閃光と爆発音) 警報解除中、なぜ爆弾?
 電気設備の故障か?現実はそんなものでは無かった。
 目前は地獄をみる状況。人は吹き飛び、倒れ、着衣は燃えている。死ぬるのか?死んでたまるか!!(この時点では原爆のことは知らない)
 どこで、どのように逝ったのか解らない。尊い命を戦争で奪われ無念だったと思う。短い人生であったが、世に感謝し皆んなに”ありがとう”と云って別れたと思いたい。
 もう70年余りになるが3人共帰っていない。
 平和を祈って広島の地で皆んなを守ってくれているのかもしれない。(合掌)
令和元年(2019年)6月 尾崎稔 87才
サイズ(cm) 53.6×37.7
展示の説明文 作者 尾崎稔さん(被爆当時13歳)
尾崎稔さんは、通学途中に被爆。左顔面や手を熱線で焼かれ、坂町の収容所に運ばれました。やけどで口半分が開かず、寝たきりの状態で、周りの人は次々と亡くなっていきました。8月20日に親族が迎えに来るまで、尾崎さんは、生死の境をさ迷いました。建物疎開作業に動員されていた母、自宅にいた妹と祖母は行方不明のままです。

目前は、地獄をみる状況。人は吹き飛び、倒れ、着衣は燃えている。
死ぬるのか?
死んでたまるか!!
母(37歳)、妹(8歳)、祖母(65歳)
どこでどのように逝ったのかわからない。

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