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トップページ原爆の絵被爆前の広島県立病院と与楽園

原爆の絵

識別コード SG-0556
絵の内容 被爆前の広島県立病院と与楽園
作者名(カナ) 尾崎 稔(オザキ ミノル)
作者名(英語) Minoru Ozaki
当時の年齢 13歳
寄贈者名 尾崎 稔
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1944~1945
情景場所 与楽園
情景場所旧町名 水主町
情景場所現町名 加古町
爆心地からの距離 1,100
ブロック別 吉島・舟入・観音地区
作者による説明 (絵中)被爆前(S18年~20年)広島県立病院と与楽園
(絵中裏)被爆前(S18年~20年)広島県立病院と与楽園
2019年1月画 尾崎稔 87歳 3/3
(別紙)被爆前(S18~20年頃)広島県立病院と与楽園
2019年(平成31年1月)尾崎稔 87才画

77才の時(10年前)この風景は一度書いたが、今回は当時を少しでも正確に画く事に留意した。
煙突 病院用焼却物用 県病院南棟 一般消却 煙突 ベット ワラなど 広島県会議事堂、あづま屋、園内唯一の桜の木
昭和16年(4年生)の時から同級生の中で2名が選抜され、望月義信先生から指導を受けた(中島国民学校)
又、昭和16年には広島国民小学校図画コンクール(中国新聞社主催)で優賞した。この風景は放課後1~2時間写生した場所です。
当時は絵の具が貴重だったためか?、4~5年生は鉛筆画・淡彩画が主であった。
従い、未だに絵の具の使い方が下手であるのは残念。
サイズ(cm) 37.7×53
展示の説明文

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