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トップページ原爆の絵死体で埋まった横川橋のたもと。すさまじい臭いがする。

原爆の絵

識別コード SG-0527
絵の内容 死体で埋まった横川橋のたもと。すさまじい臭いがする。
作者名(カナ) 渡慶次 恒徳(トケシ コウトク)
作者名(英語) Koutoku Tokeshi
当時の年齢 29歳
寄贈者名 竹中 茂子
種別 新市民が描いた原爆の絵(その他)
情景日時 1945/8/7(時刻)AM6:00~AM7:00
情景場所 横川橋北東
情景場所旧町名 横川町
情景場所現町名 横川町
爆心地からの距離 1500
ブロック別 三篠・祇園地区
作者による説明 **絵中
思い出、2
朝7時、横川に着く。色々なものが倒れてトラックは行くことができない。横川橋北東の空地に防空壕があり、水道から水も出ており、ここを基地として活動を始める。臭いがひどく、生きたまま家の下敷きになり焼かれる臭いのすさまじさは忘れることができません。みなさんにわかってもらうため臭いの雲を描きました。いかにすごいか察してください。川は太田川、向こうに広島湾の島々が見えます。

**書籍
破壊されつくした広島の街
朝六時ごろ、広島市北部の横川町に着いた。電柱がすべて倒れ、見渡す限りの家屋が倒壊している。遠くの海が見えるくらいに、すべてのものが破壊されていた。道路は家屋の残骸でふさがり、町をなめつくした猛火はおさまっていたが、火はまだくすぶっており、トラックはとても進めない。
救護隊は広島西警察署の指示をあおいで、復旧作業にあたることになっていた。ところが、西警察署があった地域は瓦礫と化し、署がどこにあったのかさえ判別できない。警察官の姿は一人として見あたらない。救護隊は独自に判断して行動するしかない。
三十五人の警防団員は荷台から降りて、トラックをかえした。頭がグラグラするほどの異臭が鼻をつく。人が焼ける臭いだ。体中にしみこんでくる。
水道の栓をひねると、チョロチョロと水が出た。そばに防空壕が二つ並んでいたので、ここを救護隊の拠点にした。しかし、負傷者を救うために広島入りした救護隊員三十五人の目に、生きている人間は一人としてうつらない。
見えるのは黒焦げの死体ばかりである。家の間口一間のあいだに、一体か二体の死体が横たわっているほどだった。倒壊して燃えた家の残骸の間に、焦げた人骨がいくつものぞいていた。火が迫ってくるまでに逃げ切れなかったのであろう。しかし、焼けた家の間とか、路上にうずくまる死体を、むやみに片付けてしまうわけにはいかないと考えた。生き残った家族が捜しにくるだろう。

川面を埋めた死体の山
太田川の放水路になっている横川に架かる横川橋のたもとには、吹き飛ばされた家の柱や畳や板が川面をおおっていた。それらの残骸の合間に死体が浮いていた。救護隊で相談した結果、川に浮いている死体を家族も探しやすいだろうから岸に引きあげよう、ということにまとまった。七、八人が一組になり、手分けして川から死体を引きあげた。畳をのけたら死体が浮いてきた。死体の下からまた死体が浮いてくる。川の中から死体がわいてくるような錯覚にとらわれた。鉤のついたトビで死体の衣服をひっかけて引き寄せ、川岸にあげた。
(中略)
死体は顔も手も足も、桜島ダイコンのように膨れ上がって真っ白だった。川面を埋めた死体の山を見て、恒徳は体の底から無力感に襲われた。死体をいくら川からあげてもきりがない。救護隊員たちは困惑した。それよりトラックが通れるように道路を片付けようと、団員たちの意見がまとまり、午前中で死体の引きあげを中止することにした。
(中略)
橋の上で肥を積んだ荷車を引いていた姿のまま、牛が横倒しになって死んでいた。牛のたずなを握った農夫は目立った外傷もなく、コロッと死んでいた。
(中略)
二つある壕のうちもう一つの濠には人が一人死んでいた。
宇多滋樹『豚の神さまー渡慶次恒徳の半生』(宇多出版企画 1999年、pp.100-105)
サイズ(cm) 123×181
展示の説明文

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