識別コード | SG-0523 |
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絵の内容 | 戦火の日 |
作者名(カナ) | 横見 久子(ヨコミ ヒサコ) |
作者名(英語) | YOKOMI Hisako |
当時の年齢 | |
寄贈者名 | 横見 久子 |
種別 | 新市民が描いた原爆の絵(その他) |
情景日時 | 1945/8/6 |
情景場所 | 賀茂郡河内町入野 |
情景場所旧町名 | 賀茂郡河内町入野 |
情景場所現町名 | 東広島市河内町入野 |
爆心地からの距離 | |
ブロック別 | |
作者による説明 | **別紙 「戦火の日」 月日の過ぎるのも早いですね。 終戦後、早や72年になりました。 その時、私は小学校3年生でした。 昭和20年8月6日8時10分、空襲警報のサイレンが鳴り、母と姉、弟たちと防空壕に入りました。 米国のB29号が目の前を東から西にいきました。 目の前を過ぎて、高台の氏神様の前で西の空を見ました。 8時15分、ピカーっと光り、ドーンと大きな音がし、真っ黒いきのこ雲が立ち上がり、広島市中が一面火の海となり、遠くで見ていても、こわくてこわくて皆泣きました。 その時の様子がこの年になっても忘れられません。 両親兄弟も亡くなり、二度と戦が起こらないことを願い、この絵を描きました。 2017年7月 きのこ雲を見た翌日の7日、父は救援のため、広島市内に行きました。帰ってから聞いた広島市内の話は想像を絶するものでした。 そんな父も20年後に原爆症で亡くなってしまいました。 |
サイズ(cm) | 52.8×45.3 |
展示の説明文 | きのこ雲 作者 横見久子 当時9歳 真っ黒いきのこ雲が立ち上り、 広島市中が一面火の海となり、 遠くで見ていても、こわくてこわくて皆で泣きました。 |